不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    タグ:関ヶ原の戦い

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    理不尽な上司の指示を受けたことはありますか?それが自分にとって死ぬほど嫌な面子に関わることであったら?あなたはその仕事をしますか?武士というのは土地のため忠義のため己のプライドのために死ぬ生き物ですが、少しあんまりな最期を迎えた武将だっています。今回は関ヶ原の戦い前哨戦、伏見城の戦いで華々しく討ち死にしたとある徳川家臣の物語。

     

     



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    【佐野綱正  「俺の愛人守ってくれない?」不名誉な仕事を任された不憫な男の末路】の続きを読む

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    ジャニーズ問題で揺れる2023年。動揺し変革を否が応でも迫られる芸能界を尻目に早々にジャニーズを脱退?し宮古島でセカンドライフを謳歌する男、大野智。出世頭の松潤は大河ドラマ主演という座を手にするも、演技派俳優としての才能を開花させている岡田准一にドラマ本編にてその演技力の差を見せつけられ、挙句の果てにはその出演こそが週刊文春に文春砲をあてられる始末・・・!壊れゆくジャニーズそして嵐を救うには大野くんの復帰が不可欠なのか・・・?

     

     

    ということで今回は松潤が今後1か月で相対立し戦っていく、もう一人の大野くん・大野治長について解説していきます。

     



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    【大野治長  豊臣家最後の忠臣・・・だったが力及ばなかった男  ~どうする家康人物解説㉞~】の続きを読む

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    関ヶ原の戦い本戦で命を落とした西軍の戦国大名は3名。

    大谷吉継は有名ですがその他2人はどちらも吉継の与力大名でした。一人は戸田勝成。もう一人は今回の記事の主人公平塚為広です。

     

     

     

    平塚為広は豊臣秀吉の時代に数多登場した出自不明の小大名の一人ですが、盟友ともされる大谷吉継との辞世の句交換のエピソードで有名な人物です。

     



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    【平塚為広  友のために死した西軍の怪力武将】の続きを読む

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    慶長5(1600)、関ヶ原の戦いの直前である825日、西軍一行は伊勢安濃津城に籠る富田信高を攻撃していました。攻城側は西軍総大将・毛利輝元の代理として出陣した毛利秀元と吉川広家といういわゆる毛利新両川。守る富田信高の兵はわずか1700。しかし、兵力3万を以てしてでも城の守りは堅牢でなかなか落ちませんでした。

     

     
    富田信高



    しかし、頼みの綱である家康の援軍は来ず、福島正則ら先鋒軍も尾張から美濃の制圧にうつり、ジリ貧に追い込まれていきます。西軍の用意した秘密兵器・大砲の投入により三の丸、二の丸と次々と落とされていく安濃津城・・・。信高は本丸にて最後の戦いに臨もうとしていました。

     

     

    【富田信高  俺の嫁が命の恩人で俺の家を取り潰した件について】の続きを読む

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    慶長5(1600)6月、徳川家康は謀叛の嫌疑をかけられながら上洛を拒む上杉景勝に対して大軍を率いて会津征伐を開始しました。しかし、家康の留守をぬって大坂では石田三成が反家康派を抱き込み、717日に「内府ちかいの条々」を発し挙兵。諸大名に家康討伐の令を発し、宣戦布告としたのです。

     

     

     

    724日、もう会津まで1,2週間でつくかというところで、家康は下野国小山にて石田三成挙兵の事実を知ります。家康いわゆる小山評定にて、従軍中の大名たちに三成討伐のための言質をとった後、征伐を一旦中断します。自分は一旦江戸にもどって準備した後、西上する諸将を追いかける予定でした。

     



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    しかし、家康はそのまま江戸に引き籠り動きませんでした。福島正則ら先発隊はこれを「内府殿は我々を試しているのだ」と理解し、武功をあげるため尾張・美濃を瞬く間に制圧します。家康の人心掌握術を垣間見せるエピソードです。

     

     

    しかし、実態は真逆だったとされます。この時、家康は本当に疑心暗鬼に陥り、江戸に引き籠ったまま思考停止していた可能性まで示唆されています。

     

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