元就が当主に就いていたことの毛利氏は大江広元の血を引く、古き良き鎌倉武士の家風を持った大名でした。夫を支えた正室・妙玖に元就や家臣団は深く感謝しており、元就の手紙には「妙玖には御家滅亡の危機を何度も助けられた」と妻を偲ぶ様子が残されています。

 



鎌倉時代の武家は男子だけでなく娘にも領地分配が行われました。しかし、世代を経るごとに受け継ぐ領地が減っていったため、次第に嫡男のみが領地を引き継ぐシステムになっていきます。毛利元就は妙玖のような女性を毛利家から輩出するためにこれを応用し、評定の際には女性も男と同等の意見を言える立場として重用しました。例えば、家督を譲っていた長男・隆元が病死した際、孫の輝元にすぐ家督を譲るのではなく、しばらくの間は元就と隆元の正室・尾崎局の両名が毛利家の最終決定権を持ち、統括する立場にありました。元就も何か大きな軍事行動や領国経営を行う際には手紙にて尾崎局の了承をとっており、元就の女性参画を進めようとする意志が見て取れます。



 

仲には、一族の女性同士が言い争いになることもありました。今回はそんな毛利家の2人のお話。

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