吉川元春の3男として生まれ、幼少期はうつけと称され勝手に他家の養子になろうと画策して両親を悩ませたという問題児。小早川隆景の死後、毛利家の首脳陣が代替わりする中で毛利家存続をかけて行動し、徳川家康に内通して関ヶ原の戦いでは毛利軍を押しとどめ東軍勝利に貢献するも、肝心の毛利家は大減封をうけてしまい、毛利家の大戦犯に・・・。
「信長の野望・新生PK」でついに新グラ!
毛利家を守ったといえばそうだし、西軍敗北の原因と称されたし、関ヶ原の戦い関連では最も毀誉褒貶の激しい人物でしょう。ただ、近年の広家の研究は毛利家のために奔走する忠臣というよりは、毛利家から独立し家格上昇を目指す、どちらかといえば私利私欲に走る人物だったのではないか・・・と考えられるようになってきました。