不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    タグ:森長可

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     2020年代は世界情勢も人々の思想・文化が大きく変化していく過渡期にあり、2023年はそれが一層進んだ年でありました。ただ、前向きな変化というのはほとんどといってなかったでしょう。明るい話といえば新NISAによる投資市場と活況と韓国・台湾との関係改善と関係強化といったぐらいでしょうか。どちらかといえば、今まで日本が臭い物に蓋をして隠してきたことが明るみにしてきたことが多かった。

     

     

    Z世代による炎上動画ブーム、闇バイト問題、ジャニーズ問題、ビッグモーター、宝塚のいじめ、自民党の裏金問題、ダイハツ不正問題・・・

     

     

    そして、年の瀬に最大級のスキャンダルが発生。

     

     

    ダウンタウン松本人志に対する文春砲です。

     




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    信長の小姓・森乱丸(蘭丸)は創作物の多くで美少年に描かれることが多いですね。小姓=BLを想起させることから華のような美少年として描きやすいのでしょうが、史実の森家の面々を考えると乱丸もゴリマッチョな男だったのではないかと思うことがあります。

     

     

    その原因となっているのが乱丸の兄で森兄弟の次男の長可。森一族の中で一番キャラが濃いと思います。伊達政宗や毛利元就のような一線級の知名度を誇る戦国大名を差し置いてFGOのプレイアブルキャラクターに抜擢されたり、本能寺の変を描く際には刺身のつまのように置いておく必要のある蘭丸と違い、長可は彼個人にアイデンティティを持っている固定のファンが非常に多い印象。今回はそんな鬼武蔵・森長可について解説していきます。

     



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    8月のお盆休みは、特に理由も無く一人旅に行きたいという気持ちになったので、台風が通過した直後、信州上田方面へとぶらり。新幹線1本で片道1時間半で上田に着くのは一人旅にもうってつけでいいね!学生時代にも長野の各地は青春18きっぷを駆使して各都市を訪問してきましたが、しなの鉄道はJR管轄ではなくなるため、泣く泣く上田方面への訪問を諦めた過去があったのでようやく上田にいって長野のほとんどの地域は制覇できたんじゃないかと思います。

     

     

    Mr.武士道氏の絵馬を発見。

     




     

     

     

    そして、秒で武士道氏に引用リツイートされる図。

     

     



     

     

     

    事前の情報リサーチが甘く、上田定番の観光地の別所温泉の存在を知らず上田にきてしまったため、宿泊は隣町の戸倉の地へ。ここも上田の影響力が少なからずあるものの、おそらく現地の人々は真田ブームとは相いれぬ考えを持っているかもしれません。

     

     

    すなわちこの地、真田一族と対立し続けた屋代一族の治める地であるからです。

    ということで、今回から信州上田スペシャルとして屋代兄弟について解説します。

     





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    木曽氏は源義仲(木曽義仲)の末裔を自称する一族です。義仲の系図は息子・義高の代で一瞬にして討伐され血筋は途絶えるのですが、幼い弟たちが落ち延びた伝説があり、戦国時代に登場する木曽氏はこれにあやかって義仲の子孫を名乗るようになったのです。

     

     

     
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    というわけで、おそらく御嶽山の麓の上松でちょっと強い地侍たちが成長して国衆・戦国大名化したのが木曽氏の実態だと考えられます。

     

     

     

    木曽氏の活動が見られるのは南北朝後半、戦国大名としての勢力拡大に乗り出すのは木曽義昌の曽祖父・義元の代です。次の代の義在になると木曽地域の統一は完了するものの、時を同じくして東から武田氏という強大な勢力が信濃全土の制圧にやってきます。

     

     

    信濃武士は粒揃いですが、それぞれが独立性が強すぎて思う様に勢力拡大ができず、信濃は中小規模の国衆たちが乱立する群雄割拠の状態で、いち早く一国統一し統率もとれた武田軍団相手に一人、また一人と敗れ去っていきました。

     

     

     

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    戦国武将・国衆に求められる条件とは何か?生き残るためには戦場での勇敢さ、時勢を見極め強きにつく抜け目のなさ、家族や味方であっても裏切ったり見捨てる非情さなどあるでしょうが、一農民から見た時に重視されるのは「有事の時に自分たちを守ってくれるか」ただ一つにつきました。

     

     

     

    究極の自力救済社会である室町時代、いつ外敵がやってきて自分たちを殺しに来るか分かりません。領主の城はそんな外敵が襲ってきた時の避難所として機能し、領主やその家臣たちが追い払ったりその賊の首を討ったりして農民たちの生活を守っていたのです。そういった意味では忍城を守り切り、その後の農民たちの生活を保証した成田長親は名君であるし、関ヶ原の戦いで領地が戦場となった竹中重門は城主から農民たちに事前連絡が遅れたため故郷が焼け野原と化し領主としての面目を失いました。

     

     

     

    そういったことを考えると、武田信玄・五男である仁科盛信は地元で慕われるほど名君ではなかったかのように思えてきます。むしろ日本特有の典型的な暴君、無能な暗君だったのではないでしょうか。










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