不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    タグ:松平清康

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    戦国大名において家中一番の武功を挙げた武将には、それを懸賞するために穂先を除くすべての部分が朱で染められた皆朱の槍を与えられました。最も有名な武将といえば上杉家臣の前田慶次。

     

     

    その慶次が活躍すること50年前、三河の地にも徳川家康に仕えた朱槍を携えた武将がありました。

     

     

    それが長坂九郎信政。

     


    長坂信政


     

     

    信政は信濃小笠原氏の庶流という説があります。すなわち、武田家臣の長坂光堅と同族ということですが、信政の息子である信宅は武田攻めにおいて穴山梅雪の調略を担当するなど功績があったことからこのような主張が出てきたものと思われます。一方で、祖父・守重が山城国長坂村の住人で後年三河に碧海郡に移り住んだとこで、その際に長坂姓を名乗ったと言われています。そのまま三河に仕官先を求めたようで家康の祖父・松平清康に仕え、主に対織田方面との戦いで武功をあげたようです。

     

     



    光堅は内政官であったのに対して、信政は武辺一辺等の人物。その武勇は振り切れていて、生涯戦場で挙げた首級は93。出撃した戦で血を濡らさなかったことはなかったといいます。戦国時代の猛将と言えば黒田武士の母里太兵衛や可児才蔵などがあげられます。しかし彼らも生涯挙げた首級は5070ぐらい。信政は彼らよりも1.5倍以上首級を挙げているのだから驚きです。(まぁ、それだけ三河国内が荒れていた証左でもありますが・・・)このことから主君・清康より姓「血鑓」と改めるよう言われたぐらいだとか。

     

    徳川家康も又一や家臣にやたらニックネームを名づける癖がありますが、このセンスは祖父譲りだったようですね。

     

     


    清康が死ぬと、そのまま息子の広忠に仕え、さらに孫世代の家康にも仕えています。家康時代に入ると信政は年をとったのか戦場の一線から退くものの、彼の門下生の中には若き日の本多平八郎忠勝がいたりと、家康が登場するひとつ前の世代で活躍した名もなき猛将として付近の国衆・大名にさぞ恐れられたことでしょう。



     

     

     

    長坂の家族は信政の武功を称えるため、正月の鏡餅は信政が討ち取った首になぞらえて93個用意するのが恒例になり、これを「首餅」と称したということです。聞こえはいいように思いますけど、毎年毎年93個も鏡餅を用意するとなると、長坂家の家計は大丈夫だったのでしょうか。

     

    子孫は信政の名乗った血鑓九郎を称し、幕府の旗本として存続したようですが、劇的な活躍が見られず、家康からはそこまで重用されていないように感じます。あくまでも長坂家は清康・広忠世代に活躍した家って感じがしますね。

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    徳川家の家臣といえばだれを思い出すでしょうか?家名でみるなら本多・酒井・大久保・内藤・鳥居あたりが有名どころでしょう。井伊・榊原・牧野・奥平・水野あたりは家康の代に家臣になるもその功績は比類なきもので同様に徳川家臣団の代表でしょう。

     

     

    こうした功績を称した武将たちは徳川十六神将と祀られています。ただ、家康の世代よりも前から長年に松平家に仕えており、家格も武功もそこそこでありながら、十六神将にも二十八神将にも数えられず、大名はおろか旗本でも下級に甘んじた家があります。

     

     

    植村家は美濃の土岐氏の庶流で、後に三河に移り住み松平草創期の当主・長親に仕えました。しかし、家康が登場する前のとある奇妙な偶然が原因で徳川家から遠ざけられた不遇の一族です。

     

     

    ということで、今回はそんな植村家不運の始まりであった植村氏明とその子孫たちの活躍について解説します。

     





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    前回の記事に引き続き、今回は家康以前の三河情勢についての解説。後半は守山崩れから家康が義元に人質に差し出されるまでを解説します。今回の主人公・広忠は父・清康のように優秀な人間ではなく、生涯を通して放浪と今川家への臣従の日々でした。そんな哀愁漂う彼ですが、なんと息子が征夷大将軍・徳川家康なのですから人生何があるか分からないものです。


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    【松平広忠 放浪と従属、苦難の日々】の続きを読む

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    「麒麟がくる」第4話、お話は尾張三河の動乱になってきました。徳川家康といえば、幼少期・今川義元に人質に出されて苦労をしたというエピソードが知られていますが、この状況を作り出したのは、松平側の希望だったりします。今回から2回に分けて松平家の台頭から今川義元の三河支配までを解説していきます。前半は家康の祖父・松平清康です。










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    織田信長にとって尾張統一は何度も自分が前線に立って指揮しないと生き残ることができない苦難の時代でした。そんな弱小勢力だった頃において味方は一人でも多い方が心強いものです。尾張統一は織田一族同士との争いの連続でした。しかし、今回紹介する織田信光は信長が家督を継いで間もないころから味方し、尾張統一に大きく貢献した人物です。


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