忍者ハットリくん、忍たま乱太郎、甲賀忍法帖、ニンジャスレイヤー・・・などなど忍者は創作物において最も脚色された存在です。その実態は農業もままならない僻地に住んでいたり土地を持たず各地を流浪していた人々が、傭兵・スパイ業を営んで生計を立てており、現代でいうところのワグネルのような存在だったのではないでしょうか。
忍者自体は「草」「臥牙」「透破」「犬」「軒猿」など様々な名前で日本各地で活躍していたのですが、その多くはその土地で雇った非正規のごろつき集団。大名からして使い捨ての破壊工作のできる駒程度のものでした。一方で伊賀・甲賀の土豪たちはまとまった集団で地域の大名に仕え長年良好な関係を築いており「ブランド」力を持っていました。
伊賀という土地は盆地で水はけも悪く農業には適さない場所でした。そんなところでも何とか土地の奪い合いが起きており、小領主や土豪たちはやがて身内の争いから合議制による強い自治共同体へと成長していき、守護大名・仁木氏の影響を受けない独自の惣国支配を行うようになります。特に発言力が強かったのが上忍三家と呼ばれ、服部、百地、藤林家。このうち服部家は服部半蔵正成の父の伊賀を去り、信長時代には藤林長門守長豊(あるいはその子・保正)と百地丹波守がリーダー格であったと言われますが・・・。