不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    タグ:島津家久

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    山名家臣団。

     

     

    山陰地域の国衆たちは独立性が高く、山名四天王と呼ばれる家臣団ですら主家への忠誠心は無きに等しい状態でした。

     

     

     

     

    というのが、但馬銀山の存在。金山・銀山、そして港は戦国時代において有力な経済資源であり、ここを抑えることが戦国大名としての強さに直結します。そして、山名氏は但馬銀山の開発によって経済発展すると思いきや、大名として成長する前に家臣団によって奪取され大大名へと飛躍することができませんでした・・・。

     

     

    そんな家臣団も山名氏含めて後からやってきた織田家に駆逐されることになるのですが、一家ではわずかに生き残ります。

     

     

     

    しかも、今川氏真的な方法で・・・。

     

     

     

    今回は山名四天王の一人、八木豊信について解説します。

     

    八木豊信


     

    【八木豊信   但馬国の今川氏真!?教養に身を助けられた武将】の続きを読む

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    島津の家臣団を調べているとちょっと気になる人物が。

     

     
    伊勢貞昌


    伊勢貞昌。伊勢貞〇って、政所執事の伊勢貞親に連なる一族だよね・・・?




    なんでそんな伊勢一族が薩摩のような片田舎に・・・。ということで今回は伊勢貞昌について解説します。






    【伊勢貞昌  こんなところに伊勢平氏、島津忠恒の懐刀】の続きを読む

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    島津義久といえば、拠点薩摩から出陣せず戦勝祈願のおみくじを引いているイメージがありますね。別にこれは彼がガチャ依存症にはまってるからではありません。

     

     

    戦国時代は今以上に神託の力が信じられていた時代、信心深い島津の男たちを説得させるのに義久は大きく利用した訳です。





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    連歌とは複数の人々が集まってリレー方式で和歌を詠む形式で、上の句5・7・5に対して他の人が下の句7・7を連ねるというもの。一度の連歌で50も100も句が繋がっていくため、和歌一句読むだけでもそれなりに知識を必要とするのに、複数の和歌を詠みつつさらに人の和歌に繋げるという縛りが必要ですから個人の教養を総動員して臨まなければいけません。

     

     

    和歌に何かのメッセージを入れるならなおさらで、せっかく詠んだ連歌も間違った解釈をされてしまっては意味が無い。いろんな人々が参加する以上、うっかり自分の教養の無さを露呈すれば、あいつは教養がないと笑い草になります。逆に連歌の才能がればあそこの殿様は文化教育にも力を入れていると大名としての力を誇示することに繋がります。

     

     

    歴史上は万葉集の時代にも連歌の存在は認められますが本格的に連歌が詠まれ始めるのは鎌倉時代の頃にルールが整えられ、室町時代に隆盛を極めました。

     

     

     

     

    戦国時代を代表する連歌大名と言えば細川幽斎、明智光秀、最上義光あたりでしょうか。

    彼らの師となり連歌の発起人として活躍したのが里村紹巴です。ちょうどプレバトの夏井先生みたいなもんだね。

     



    里村紹巴




     

    一般に教養が必要な遊びはルールが複雑化し高尚なものとしてより洗練されていくか、大衆に広く受け入れられるようにカジュアル化していくか2パターンの道を辿るのですが、紹巴はどちらかと言えば後者にあたり、各地の大名と交流を持ち連歌を日本全国に広めた功労者でありました。

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    「子供部屋おじさん」とは成人後暫くたっても実家から離れず、実家の子供部屋で暮らすおじさんのこと。(ニコニコ大百科より)

     

     

     

    2019年ごろより5ちゃんねるで流行し、パンピーにも使われるようになってしまったこの言葉。無敵の人だとかねらーの高齢化だとか、不動産屋の陰謀だとかいろいろ様々なら罵詈雑言飛び交ったこのワードでしたが、実は現代社会に限らず、武家社会においても同じようなネガティブな言葉が存在しました。

     

     

     

    「部屋住み」

     

     

     

    今でこそヤクザの世界で使われる言葉ではありますが、もともとは武家社会において、庶子で家督を相続できず、さらに独立せず兄の家にとどまっている状態の者を指す言葉として使われます。

     

    武家社会は厳しい家族組織が非常に厳格で、家督に継げない者は家を出て他の家に仕えるか自ら家を興さなければ一生ニートのままという非常に哀れな世界。江戸時代になるとそれは顕著になり、仕官口が限られてくるため多くの部屋住みや浪人が誕生。次男以下の多くは家族を持つことが難しく肩身の狭い生活を送ってきました。ただ、武家の身分を捨て作家や画家、寺子屋の先生になったりと働き口がないわけではなく芸術の世界で大成する人間もいました。

     

    平和な時代とは程遠い戦国時代においては、仕官口に困ることは無かったでしょうが、それは下級武士の世界。大名の親族クラスになると嫡男が死んだ時の代わりとしてなかなかに家を出ることは、自分がしたくても許されませんでした。

     

    かといって、他に有力な兄弟がいれば、自分が家督を継ぐチャンスは皆無・・・。戦国時代にとっても「子供部屋おじさん」は非常につらい立場だったのです。



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