1615年、大坂夏の陣により大坂城は大坂の町とともに灰燼に帰し、豊臣秀頼をはじめ豊臣一族は自害し滅亡しました。
・・・かのように思われましたが、武家の習いにより秀頼と運命を共にせず戦争の乱取りを逃れた豊臣の女性たちの中には辛くも生き延び、江戸時代に命を繋いだものもいました。秀頼の正室・千姫はその代表ですが、秀頼の妻女は豊臣の血を恐れた徳川政権により誰かに嫁ぐことを許されず、出家して寺に入れられました。
女性にとって自身の子を出世させることが目下人生の目標であった時代。若くして僧籍に入った女性たちは生涯何をなすべきか思い悩んだ人間も多いのではないでしょうか?
秀頼の子にして豊臣家最後の生き残りになった天秀尼は最も有名なケースでしょう。