不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    タグ:伊達政宗

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    大河ドラマ「光る君へ」では、もっぱら人気度ナンバーワンなのが藤原実資役のロバート・秋山竜次でしょう。ロバート3人が揃って何かをする機会は昔に比べて減ったものの、3人とも独自路線を歩んでおり(そして3人とも役者と料理人とボクサー兼ポケモントレーナーと芸人が副業になってしまっている・・・w)、クリエイターズファイルは非常に好評を博しています。

     

     

     

    思えば、21世紀の今、ピンマイクを以てしゃべくり漫才をしたり、〇〇(俺の子供産めや!)のバラエティ番組で身体をはってリアクションをするかつての漫才師スタイルをとる芸人の方が少ない。舞台で演技力が求められるコントを披露したり、客から出されたアドリブに対応して即興で大喜利をしたりと芸の多様性は広く、俳優以上に台本プラスαの付加価値をつけられる強みがあります。

     

     

    そういう意味でこれからも大河ドラマや朝ドラには多数のお笑い芸人出身の人間が登場することでしょう。

     

     

    大河ドラマにお笑い芸人が出演するようになって久しいですが、大河ドラマにお笑い芸人が進出するようになったのは1980年後半代だったと言われています。民放では明石家さんまが独断場の時代。当時人気のドラマシリーズであった「男女7人」シリーズで明石家さんまが主演を務め大ヒットを飛ばしたため、これを境にドラマの世界に芸人が多数出演するようになったのです。

     

     

    では大河ドラマは誰か。個人的に思うのは「独眼竜政宗」で鬼庭左月を演じたいかりや長介かもしれません。伊達家4代に仕えた老臣であり、父・輝宗の弔い合戦の戦いで70を超える老齢ながら出陣し、人取橋の戦いで殿役を務め主君・政宗の窮地を救いました。

     

     

    大河ドラマの中興の祖として名高い・独眼竜政宗を国民的ドラマに押し上げたその裏にはいかりや長介の名演技も少なからずあったかもしれない。

     

     

     

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    ということで、今回はそんな芸人が演じた歴史上の人物第一号・鬼庭左月について解説します。

     

     

     

     

     

    【鬼庭左月斎  73歳で戦死 ~御老人ますます元気です~ 】の続きを読む

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    豊臣秀頼を滅ぼし、ついに徳川による天下平定を完成させた家康。自分に与えられた宿命を果たし安心したかのように家康は翌年にこの世を去るのですが、家康生涯、最後の最後にやり残した仕事がありました。

     

    それが身内の問題。ご存知の通り、家康は征夷大将軍に任命され、幕府を開くも3年で将軍職を辞し、三男の秀忠に譲ることで徳川政権の後継者を秀忠としています。しかし後継者問題は解決したかに見えたものの、頭を悩ませたもう一つの家康の子がいました。

     

     

    それが松平忠輝。家康の六男です。

     

     





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    幕府開設後、家康の男子たちは次々と病死し、実は大坂の陣において成人し政務を執り行うに足りる者は秀忠と忠輝の2人まで減っていた時期がありました。そんな中、忠輝は秀忠から天下を簒奪しようと企んでいると不穏な噂が流れました。

     

     

    当時の風評でも忠輝は性格に難ありの問題児だったようで、為政者として不適と見なされた忠輝は父と兄によって幽閉され、生涯不遇の人生でした。一方で、家康からは形見として家宝とされる野笛を譲り受け、心の内は最後まで家康は息子のことを案じていたともされます。

     

     

     

    今回はそんな徳川家康最後の決断、忠輝の処遇について解説していきます。

     

     

     

     

    【松平忠輝   信康事件を繰り返すのか、家康生涯最後の苦渋の決断】の続きを読む

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    自分の人生を振り返ってみると思った以上に時間にルーズな人間だなと反省する時があります。授業やテストなど、しなくてはいけない時間には基本遅れたこともないし、今も(朝寝坊して)会社に遅れそうになることはあっても遅れることはなく、社会生活を送る上で致命的な遅刻をすることはなくても、プライベートの時間の管理は壊滅的で、「自分のことだからまぁまぁええやろ」と甘えに甘えて何も手につかないのはもちろん、かつてはデートにすら遅れたことすらあります(もちろんそのデートっきりで相手からの連絡は途絶える、やっちまったぜ。)。

     

     



    こう時間にルーズさを治したいと明日からは時間に強くなろうと思っても、会社や会議などのルールづけられたこと以外はあんまり守れる気がしないのは本当ダメ人間だと思うよ。

     

     



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    さてどうでもいい自分語りはともかく、遅刻といえば、徳川秀忠でしょう。関ヶ原の戦いという日本史の転換点ともいえる重要な局面において、主力を率いていた秀忠の軍は遅刻して本戦に間に合わないという大失態を犯します。

     

     

    関ヶ原の遅参に関して言えば、元々家康が無理なスケジュールを要求していたとか、真田の術中に翻弄されたとか、軍の規律無視して暴走した家臣がいたとか、大雨で行軍が遅れたとか、秀忠のせいにするには可哀そうな部分もあるのですが、残酷にも結果だけが一人歩きし、秀忠は大事な局面で役に立たないという嫌なレッテル貼られてしまうようになります。

     

     

    【東海道進軍RTA (any %) 14days   徳川秀忠の逸話】の続きを読む

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    家康は正室、継室、側室らを含めると生涯で21人の妻がいたとされます。その特徴として昔から後家好きの一面を持っていたと揶揄されることがあります。

     

    これは最初の妻である築山殿とのいざこざに懲りて、女性問題で揉めることがないように身分の低い未亡人を妻に迎えるようになったと言われています。

     

     

    実際には次女・督姫の母である西郡局や、お梶の方、お夏の方、2人のお万の方など地方領主の娘を妻に迎えるなど未亡人ばかり妻にしていたとは言えないのですが、築山殿以外ではよく家康の妻として知名度のある朝日姫、西郷局、阿茶局あたりは全員がバツイチであり有名どころの例を挙げて後家好きと呼ばれるようになった経緯があります。

     

     

     

    その極めつけの例が茶阿局。

     

     

    ・・・阿茶局?と二字を入れ替えただけの紛らわしい名前ですが、同時期に側室になった阿茶局とは未亡人、低い身分と共通点があり、どちらも聡明な女性だったことから家康の側に近侍していたことが多かったとされます。さらに茶阿局はなんと出身が百姓出身だったとも言われ、これが本当なら低級身分から天下人の妻、しかも家中の奥向きをとりしきる人物にまで出世した慶長のシンデレラガールといえるでしょう。

     


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    何より、家康臨終の際、末期の水をとった女性が茶阿局だけというわけで・・・。

    といいことで今回は家康の側室・茶阿局を解説していきます。

     

     

     

    【茶阿局   未亡人の百姓(連れ子あり)から家康の側室(序列2位か3位くらい)まで上り詰めた女傑】の続きを読む

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    農民身分から立身出世を果たし、天下人にまで上り詰めた男、豊臣秀吉。裸一貫の身からのしあがった庶民のヒーローとして、今も昔も志を立てる人々の星として憧れの情をむけられる一方、農民出自であるが故の身分の低さからのコンプレックスであったりだとか、親戚筋・譜代家臣の少なさはじわじわとボディブローのように豊臣政権を苦しめていくようになります。

     

     

    後者は結局、嫁・・・すなわち寧々の実家を頼るわけになるのですが、その大黒柱的存在だったのが浅野長政です。久しぶりのどうする人物解説。今週から豊臣政権~関ヶ原編が始まります。その第一弾として浅野長政について解説していきます。

     




    浅野長政

    【浅野長政  地味ながらも優秀な行政官だった秀吉の義兄 ~どうする家康人物解説㉘~】の続きを読む

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