今川氏真は徳川家康・武田信玄からの同時二方面侵攻によって領国を追われ、妻の実家である北条氏の庇護を受けるも、後にかつての部下であった徳川家康の下に転がり込み、それ以降は旧領の駿河復帰をかけて家康傘下として戦っていました。
しかし、武田家との戦いは長期化し、ようやく武田家の滅亡と駿河奪還を果たせた頃には織田政権が盤石なものとなりつつあり、その直後に起きた本能寺の変、天正壬午の乱、小牧長久手の戦い・・・と畿内や家康を取り巻く状況は刻一刻と変化し、氏真の駿河復帰どころではないまま時だけが過ぎ去っていきました。それでも甲州征伐の際には今川最後の抵抗場所でもあった富士付近に旧今川家臣らが氏真の大名復帰を予期して千人単位で人々が集まったという話もあるので、依然として今川復活を望む声がちらほらとは聞こえたようです。
始めは駿河復帰に意欲を持っていた氏真でしたが、いつからかその夢も諦めるようになり、天正年間中頃には氏真も自身を慕ってついてきた家臣団も解体し家康家臣団へ段階的に譲渡しています。