理不尽な上司の指示を受けたことはありますか?それが自分にとって死ぬほど嫌な面子に関わることであったら?あなたはその仕事をしますか?武士というのは土地のため忠義のため己のプライドのために死ぬ生き物ですが、少しあんまりな最期を迎えた武将だっています。今回は関ヶ原の戦い前哨戦、伏見城の戦いで華々しく討ち死にしたとある徳川家臣の物語。
カテゴリ:人物伝 > 三好家
【悲報】三好長慶さん。大河の主役になれない
1: 名無しさん@おーぷん 23/11/20(月) 21:24:45 ID:TnSJ
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【閲覧注意】くたばれ少年法!! 怒れる領主、三好長治の少年犯罪対策を見よ!
2023年、スシローはSNSの業火に包まれた・・・!
寿司は舐められ、ガリが直食いされ、あらゆる外食チェーン店は絶滅したかに見えた。
・・・だが、迷惑テロは死滅してはいなかった!
デデデデデデ デーン デデデデデデテデデデッ!!
いやお前らの方が死滅していないんかーい♪
小笠原成助 泡と消えた阿波一国の夢
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戦国時代にとってはかつての名門大名だけではなく実力さえあれば一国衆からでも国持大名になれるチャンスのある戦国ドリームの時代でした。鎌倉時代には栄えていたけど、室町期には落ちぶれた国衆が先祖のために一旗あげることができたのもこの時代です。国衆から戦国大名に成長した家ほど織田家、毛利家、長宗我部家などなど有名どころが目白押しですが、中にはあまりにも一国を支配した時期が一瞬すぎて記憶にも記録にも残らないものもいます。一宮成助はその最たる例で、厳密には大名の定義からは外れますが一時期だけ阿波一国を支配し、滅亡さえしなければ、織豊時代の有力大名となっていた可能性があります。
一宮成助、通称・小笠原成助。鎌倉時代より伝わる名門・阿波小笠原氏の嫡流の家で、彼の時代には一宮城を拠点にしたことから一宮姓の方が有名です。
篠原長房 四国総大将
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永禄7年、三好長慶の死により畿内は再び戦の空気が立ち込めてきました。新たに三好家の当主となった義継、三好家中をまとめ上げるため、そして政敵・義輝の排除に乗り出すため永禄11年に足利義輝を弑逆。さらに、長慶なき家中統制として三好三人衆を成立させました。
それと同時に、四国より三好家のフィクサー的存在が上陸します。篠原長房。彼こそ、三好の本拠である阿波三好の事実上のトップにして、14代将軍・足利義栄の庇護者でした。義輝死後の京内の動乱は義昭を奉じた信長によって静謐を見るのですが、もし信長の上洛が失敗していた場合、長房を中心とする三好政権が継続し、三好幕府が誕生していたかもしれません。