不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    カテゴリ: 旅日記

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    三重県熊野市。日本最大規模の棚田「丸山千枚田」が有名です。高低差100mの切り立った崖に1340枚の棚田が広がっています。壮観な光景ですが、昔はこれよりも2倍の棚田が広がっていたと記録に残っています。



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    近年では棚田のオーナー制度によって棚田保全活動が活発化し、毎年多くの家族連れが棚田の田植えに参加するのだとか。

     

     
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    この棚田を初めて記録したのは、戦国大名の羽柴秀長でした。しかし、この棚田の検地はこの長閑な風景とは裏腹に凄惨な抗争の上に行われたものでした。

    【還らずの城、赤木城  ~藤堂高虎の逸話~】の続きを読む

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    今回はローカル線の旅後半戦。

    岡谷-豊橋間の飯田線を走ります。


    この記事を書く前に、ローカル線の記事にて
    「飯田線」を旅した旨のコメントを書き記していました。どういう訳か、この記事に触れるような内容や画像が含まれており、気味が悪いので消してしまいました。


    不正アクセスとか・・・パスワードとか乗っ取られてないよね・・・?

    というかこのブログにもアンチとか出てきたのか・・・?


    【ローカル線の旅② 飯田線】の続きを読む

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    お、1か月ぶりのコメントやんけ!いいゾこれ~







    ん?





    kome




    和歌山にも徳川頼宣とかいるだろ。

    和歌山にも徳川頼宣とかいるだろ。

    和歌山にも徳川頼宣とかいるだろ。













    怒られてしまいました。

    詫びとして今回は和歌山県だけで1記事を書いていこうと思います。

    まぁお今回は城訪問記事として和歌山城をとりあげるだけなんですけどね、初見さん。


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    【和歌山城 ~桜と石垣~】の続きを読む

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    今回は二回に分けて私が訪れたローカル線について紹介します。

    まずは青森県西部を走る五能線。
    弘前ー東能代駅を走るこの鉄道はかつては永年赤字の廃止まっしぐらな過疎線でしたが、ローカル鉄道のブームによって景観が評価され、JRの観光看板になるくらいの人気線となっています。

    夏の観光シーズンに訪れましたが、区間を通して100人近い人が乗り降りしていました。

    まずは青森県へのアクセス

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    県庁所在地とは思えないしょぼい駅だ…

    青森市はオーストラリアの首都と同じく2つの大都市に挟まれた計画都市としての意味合いが強く、弘前に比べると県庁周辺を除きそこまで都市間が無かったというイメージです。

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    訪問日はねぶた祭り最終日で、かなりの賑わいでした。

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    弘前へ移動。五能線の始発駅です。


    その前に弘前城を訪問。
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    弘前城は津軽為信、信牧親子によって築かれた現存十二天守の一つです。
    弘前藩は五万石でしたが津軽氏の巧みな外交力、商業力によって司馬遼太郎をして日本7名城に言わしめた立派な城が築かれました。

    訪れた感想として、隣の久保田城や山形城よりも遥かに立派で荘厳さがありました。前情報なしだと20万石ぐらいのお城かな?と錯覚してしまいます。平城なので防御力は0ですが、藩主の凄さを伝えるには十分でしょう。

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    工事中だった模様。









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    さて列車に乗り込みます。
    桃鉄で有名な五所川原を経由して深浦まで

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    五所川原のねぶたは立佞武多と言って縦に長いのが特徴。この街は文豪・太宰治の故郷でもあります。


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    深浦までの前半はリンゴ畑の中を走っていきます。

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    途中でリゾートしらかみと遭遇。

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    深浦駅と言えば、深浦高校でしょうか?コアな高校野球ファンなら知っているかもしれない。私は知人から深浦高校の存在を知りました。近くにはお店と食事処がちらほら。

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    深浦周辺は赤い岩のリアス式海岸が特徴。観光ポスターの周辺に差し掛かると電車が減速して写真撮影しやすくなります。

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    千畳敷周辺。五能線にはシーフロントの温泉がいくつかあります。入ってないけど。

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    深浦周辺を適当に散策して…
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    再び出発。
    後半は白神山地をバックに走ります。

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    東能代駅到着。
    だいたい深浦での停車含めて六時間弱の旅でした。


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    今回は2月に訪問した八王子城についての記事を書いていこうと思います。
    八王子城は戦国時代の末期に北条氏によって築かれた支城です。

    城主の北条氏照は、相模の虎こと北条氏康の三男で、始めは武蔵の国衆だった大石氏に婿養子として入り、多摩川の要害に位置する滝山城を守っていました。氏照は兄弟の中で軍の統率に優れたほか、他国との外交でも活躍した人物です。岳父である大石新月斎から笛を譲られ、正室の比佐と共に笛の名手であったとも伝えられています。

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    滝山城は永禄12年(1569年)に関東進出を狙う武田信玄によって攻撃を受けますが、氏照や家臣の奮戦により守り切ります。

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    しかし、平山城という防衛能力の低さを不安視した氏照はより強固な城を築くべく、武蔵と甲州街道の要所部分に対西国大名への防衛策として新たなる城の建築に取り掛かります。しかしその完成を見る前に豊臣秀吉と北条氏との間で戦争が勃発。外交による決着を望んでいた兄弟・氏政、氏規と違って秀吉との戦争を主張していた氏照は、小田原防衛のために主力部隊を率いて八王子城を後にしますが・・・


    上杉景勝や真田昌幸といった北国勢2万によって八王子城は猛攻を受けます。城兵がほとんどいない八王子城は家臣・中山家範らの奮戦もむなしく1日にして落城、城兵はおろか家臣やその妻子、城に逃げ込んだ城下町の人々までがその凶刃によって命を落としました。犠牲者たちの首が小田原城下に晒されたことを知った氏照は完全に士気を失い、氏政と共に降伏。戦後責任をとって自害します。一説によると家族や家臣はおろか城下の人々まで失ったことにショックを受け発狂状態であったとも言われています。


    まさに戦国末期の悲劇が起きた八王子城に今回は訪問しました。




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    東京から中央線で1時間、高尾駅に到着。1月下旬の大雪がまだ残っています。




    高尾駅からはバスで八王子霊園前まで行くことができ、そこから20分ほど徒歩で到着。
    高尾山と違って途中にお店やコンビニが一切ありません。ラーメン屋と個人経営のカフェがあるぐらいなので装備や昼食は電車に乗る前に買っておいた方がいいかも



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    八王子城までの道は傾斜の緩やかな石畳の道。近くに大きな霊園がある関係で、石大工の店が多数ありました。


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    ビジターセンターに到着。休憩スペースと郷土資料館的なブースがありました。自販機を見つけたのでここで飲み物を購入。


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    巷では有名な心霊スポットである八王子城。6年ぐらい前の2chの有名スレ、「心霊スポット格付け」では立ち入り危険で高確率で霊障に遭うというAランクに位置しており、肝試し目当てで来る人間がいるのかもしれません。

    訪問した感想では昼間はバードウォッチングや登山で数十人の観光客がいるので恐れるほどのことは無いと思います。ただ住宅地から遠く離れており、滑落しやすい足場も多数みられるので夜の訪問は絶対控えた方がいいでしょう。

    八王子に実家がある友人曰く、「子供の頃おばあちゃんに『夕方5時までに帰らないと落ち武者に追いかけられる』と言われた」とか(笑)まぁ滝山城も過去に首吊り死体が見つかったとかで心霊スポット扱いされてたりするから、あまり変な所は立ち入らないように。


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    といってたら5分でこれだよ。これ絶対アカンやつや
    橋崩落の危険に加えて私有地らしいのでそっとしておきましょう。


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    八王子城は完成すると、観音寺城や七尾城に並ぶ山全体が防衛機能を果たす巨大山城になる予定でしたが、現存する八王子城は居住区部分と山城部分のみが残っています。それでも全体を見て回ると2時間ぐらいかかります。支城にしては非常に大きなお城でした。まずは居住区部分を訪問。


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    桟橋と石垣部分。石垣は当時のものです。


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    このアングルはベストショット(自画自賛)。


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    訪問時期は管理棟の方が雪かきをされていました。片側だけ通行できるように除雪されていました。ご苦労様です。

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    「マム 、注意」、ワンピースのビッグ・マムかな?

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    石畳の階段。

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    御殿の入り口部分。門は再現されたものです。

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    八王子城の石垣は江戸時代のお城のように「同じぐらいの大きな石を隙間なく敷き詰める」タイプではなく、大きな石を積み上げ、隙間部分を小さな岩でふさぎ最後に泥や石膏で固めるという戦国時代でよく見られる方式をとっていました。築城時期が1580年代後半であると考えると珍しいかも。逆に言えば戦国時代の山城の完成形とも言えます。

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    御殿部分を抜けると御主殿の滝に辿りつきます。
    逸話では追い詰められた城内の女子供たちはこの滝壺に飛び込み命を絶ったと言われます。その血によって川の水は三日三晩赤く染まり、今もお盆の時期になると川がほのかに赤みを帯びるとか帯びないとか・・・

    ただ滝壺含め深いところでも水深60cmぐらいしかなく、「滝に飛び込み自害」はおそらく秀吉の暴虐さを伝えるための作り話でしょう。冬だったから滝の水が干上がってたのが残念。5年前の夏に訪問した際には勢いよく水が流れていました。


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    それより滝に向かう道が完全に凍結していて滑って川に転落しないか怖かった。(小並感)

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    山城部分は麓から山頂まで40分ほどかかります。
    テンポよくいけば20分で行けるだろ・・・と思いましたが、本当に40分かかりました・・・
    八合目の標識が出てからが長いです。水分補給と休憩はしっかりと。

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    途中の休憩地点や八王子神社からは相模が一望できます。高尾山より景色はいいかな?

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    修験者の霊域を示す天狗の石像。

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    40分ほどで八王子神社に到着。八王子の名はこの神社に由来するそうです。
    今は使われていないのか神輿がいくつか置かれていました。

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    八王子城攻略の地図らしきもの。
    この地図を見るに城兵と戦ったのは前田軍、城下・御殿部分を襲撃したのは上杉・真田軍のようです。罪も無き婦女子を殺すとはおのれ安房守許すまじ(二代目将軍並感)


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    さらに5分ほど上ると頂上へ。本丸は20m四方と非常に狭く、城代with側近ぐらいしかいなかったのではないでしょうか?実際に運用するなら絶対攻撃されないであろう本丸を指揮部分として各曲輪の部隊が山道のネットワークを通じてゲリラ戦法を展開するのかも。

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    最後に帰り道に氏照の墓を見つけたので墓参りに訪問。お墓は城代・中山家範の孫によって建立されました。
    中山家範は「領民を守れず氏照様に合わせる顔が無い」と前田利家の助命を断わり自害してしまいますが、遺児である2人の兄弟は徳川家に引き取られ秀忠直属の部隊として仕えます。

    第二次上田城合戦では父の仇を果たすべく、嫡男・中山照守が突撃を敢行。しかし戦後軍律違反(殿が遅刻したからね)を咎められ1年ほど謹慎処分を受けました。その後は大坂の陣にて秀忠軍の騎馬部隊を率いたほか、目付として肥後を巡察したり幕府の上級官僚として幕末まで命脈を残します。弟の信吉は伏見城にて家康の刺客を捕えたほか、駿府城失火の際に家康の子息を救出した功で信任を受け、水戸徳川家の家老になり兄弟共に中山家は江戸時代を通して繁栄しました。

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