不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    カテゴリ:人物伝 > 島津家

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    山名家臣団。

     

     

    山陰地域の国衆たちは独立性が高く、山名四天王と呼ばれる家臣団ですら主家への忠誠心は無きに等しい状態でした。

     

     

     

     

    というのが、但馬銀山の存在。金山・銀山、そして港は戦国時代において有力な経済資源であり、ここを抑えることが戦国大名としての強さに直結します。そして、山名氏は但馬銀山の開発によって経済発展すると思いきや、大名として成長する前に家臣団によって奪取され大大名へと飛躍することができませんでした・・・。

     

     

    そんな家臣団も山名氏含めて後からやってきた織田家に駆逐されることになるのですが、一家ではわずかに生き残ります。

     

     

     

    しかも、今川氏真的な方法で・・・。

     

     

     

    今回は山名四天王の一人、八木豊信について解説します。

     

    八木豊信


     

    【八木豊信   但馬国の今川氏真!?教養に身を助けられた武将】の続きを読む

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    仏教の修行の一つに補陀落渡海という究極の修行があります。大自然を信仰する日本古来のアニミズムと仏教が融合した熊野信仰の一つで、一度行えば生きて帰ってこれない捨身の修行です。

     

     

    古くは9世紀ごろから、18世紀初めぐらいまで断続的に行われ、確認できるだけでも57回の補陀落渡海が行われています。多い時には1度に20人もの僧が補陀落渡海を実施する例もありました。

     




    hudaraku
    那智山信仰補陀落絵図




    仏教の教えでは西方に極楽浄土(阿弥陀如来の世界)、南方に補陀落浄土(観音菩薩の世界)があると信じられておりました。補陀落はサンスクリット語でいう「ポータラカ」の日本語読みで、民間信仰も割と盛んな部類です。この浄土へ船でたどり着こうとするのが補陀落渡海の目的です。が、実際には渡海船には30日分の食糧と共に入口を塞がれた船が潮の流れるままに漂流し待っているのは飢えか船の沈没による死のみでした。

     





     

    このうちたった1人だけ補陀落渡海より確実に生還した僧がいます。実際には生還というより漂流した結果別の土地にたどり着いた訳ですが、そこは仏の世界ではなく琉球。僧の名前は日秀と言います。一応鎌倉時代にも琉球に禅鑑という僧がたどり着いているのですが、はっきりとした記録が残っておらず、確実な事績を残りしているのは日秀のみです。

     

    日秀はその後琉球で仏教の普及に一役買っており、後年の研究が盛んな人物。沖縄の各地に日秀が建立したとされる寺が存在します。

     

     

    【日秀上人  ~琉球への架け橋~ 二度死んだ僧】の続きを読む

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    関ヶ原では西軍につき、島津の退き口と知られる敵中突破をして、その後の戦後交渉により粘り強い交渉の末西軍で唯一罰せられなかった大名家島津家・・・。薩摩隼人の結束と鬼石萬子としておそれられた島津の武功を世に知らしめた・・・というのが関ヶ原における島津家のイメージです。例によって、これらのイメージは後世に創られたもので実情はやっぱり少し違います。

     

     

     

    歴史の研究は定説をひっくり返す所から始まります。最近の歴史系動画はこれまでの戦国武将のイメージを語り、実際はどうだったのか?を資料から紐解いていく考察系が多いです。しかし、意外にも島津家に関する考察動画は少ないため、未だ島津は強い大名家という印象があるように思えます。実際には戦国大名の中でも100年遅れをとっている家臣の質もあまりよくない、片田舎のアットホーム系大名家なのですが・・・。

     

     

     

    ということで今回は関ヶ原以後の島津のドタバタ劇を当事者の新納旅庵の立場から振り返ってみましょう。

     

     

     

     

    【新納旅庵  関ヶ原狂騒曲~大変なのは薩摩に帰ってからだった!?~】の続きを読む

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    長寿院盛淳

    導入が思いつかぬ。
    【長寿院盛淳  島津の軒き口を成功させた元僧侶の外交官 】の続きを読む

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    独断と偏見で決めた。戦国ファンではメジャー級ではないものの、何故か日本史の教科書に載るくらいの重要人物。

     

     

    5位 前田玄以

    4位 大森藤頼

    3位 織田秀信

    2位 清水宗治

    1位 種子島時尭

     

     

    種子島家は本人の活躍はともかく、鉄砲伝来という日本史の大きなターニングポイントに居合わせたことがアイデンティティの戦国武将です。




    種子島時敬





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