今回は華々しい戦国武将の活躍の陰に縁の下の力持ちとなって頑張ったり苦労した弟を紹介します。

管理人が勝手に7人ピックアップしてみました。

①羽柴秀長
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よくできた弟といえばこの人!兄・秀吉の天下取りに大きく貢献した人物であります。吝嗇家でもあり、お城の一室を埋め尽くすほどの黄金を貯め込んでいたとか。

②細川興元
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ヤンデレ当主・細川忠興の弟。細川家の重鎮として兄・忠興を支えますが、ガラシャ夫人の紹介を受けてキリスト教に入信。ガラシャの死後は兄の八つ当たり仲が悪くなり、隣国の黒田家に出奔します。その後、秀忠に呼ばれ忠興とは別に分家を興しますが、兄の反対を受けて1万石に留まったといいます。武将としても有能で大坂の陣では自ら首級を挙げたと記録されています。

③北条氏規
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北条氏政の弟。四兄弟の4男として外交・内政で活躍して勢力拡大に務めました。家康とは今川時代の人質の中らしく徳川家との取次を担当していました。しかし小田原の役では北条家と豊臣政権との対立を止めることができず、涙を呑んで主家の滅亡を見届けることになります。

④高橋直次
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立花宗茂の弟。自ら前線で戦い、碧諦館の戦いでは敵軍に突入して兄を救い出した他、続く露梁海戦では殿を務めて、日本軍を死守します。また柳生宗矩に弟子入りして自ら「新陰治源流」を開きました。でも元服するや否や隣国の筑紫氏に攻められたと思えば、和平の証として筑紫家の姫と結婚したり、その翌年には島津軍に居城を攻められて、幼い妻共々捕虜となったり、行く先々でトラブルに巻き込まれる不幸体質だったりします。

宇喜多忠家
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宇喜多直家の弟。兄が兄だけに、とにかく何かにおびえており、常に経帷子をつけていたとかいろいろ苦労人。でも長生きして豊臣政権の重鎮となりました。出家して「安心斎」と名乗りました。兄に暗殺される必要が亡くなって安心したのかな?

⑥真田信尹
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真田昌幸の弟。双子説もあります。若いころは武田軍に所属して、北条綱成の軍に単騎突入、本陣の旗を奪い取る武功を挙げています。武田家滅亡後は、徳川家や蒲生家などを渡り歩き昌幸とは別行動をとります。別家となることで真田家滅亡のリスクマネジメントをしていた他、兄に諸国の情報を送っていたのではないかと言われています。江戸時代になると7000石の上級旗本となり、大坂の陣では真田信繁と調略・首実検を担当したといいます。信尹が「はて・・・私は最近目が悪くなって、この首は弁丸(信繁の幼名)か分からんのう・・・」と言ったことから真田幸村生存説が生まれたんだとか。

⑦松平忠輝
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徳川秀忠の弟であり、常に秀忠と対立していたと言います。伊達政宗の娘、いろは姫と結婚。政宗の天下取りの手駒となりますが、大坂の陣以降、秀忠によって改易、流罪となってしまい昭和になるまで徳川本家からは許されませんでした。外国の文化や茶道に長けた文化人であり、徳川家らしくない瀟洒な気風が嫌われる原因となったのかも?流罪となった諏訪では町人に医術や読み書きを教えるなどして暮らし、25歳に流されて92歳まで生きたそうです。セカンドライフが長すぎる!