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戦国時代は女性の地位が低かった時代ではありますが、人質の手駒にされ領国統治とは関係ない話だった・・・というのは誤った認識だと思います。むしろ日常の政務には殿様よりも奥方の方が関わりは深い物でした。


戦国時代は一夫多妻制であり、1人の正室もしくは継室と側室はいたりいなかったりというのが一般的でありました。ここで簡単にまとめておくと


正室は大名の本妻のことであり、政略結婚が一般的でありました。幼馴染で家老の娘と結婚・・・って話は遠い夢物語であり、男性にとっても好きな女性を俺の嫁(正妻的な意味で)と扱うことはできなかった時代です。(個人的には親が勝手に結婚相手を決めてくれるので楽と言えば楽でした。嫁がブス?知らんな。)例としては徳川家康に対する瀬名姫や織田信長に対する濃姫、伊達政宗に対する愛姫などがありました。


正室から生まれた長男または年長の男児を嫡男と呼び、正室以外の子供から生まれた子を庶子、正室以外から生まれた長男を庶長子といいます。調べてみると本ブログでもPV数稼ぎに最も貢献してくれている小田天庵様は14歳で庶長子が生まれています。高貴な家は第二次性徴が始まるころに年上の侍女が夜の手ほどきをするとかいう噂がネット上でまことしやかにささやかれますが、氏治の例を考えると意外と当たっているのかもしれません。


継室は正室が亡くなった後に嫁いだ女性です。正室と同等の格がありました。徳川家康に対する朝日姫や毛利元就に対する乃美大方(穂井田元清の母)や片倉重長に嫁いだ真田阿梅などがいます。


正室・継室以外はみんな側室です。

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こんな感じに大名になったら好きなだけ側室を持てると思ったそこの高校生男子諸君!




残念でした。



















側室の条件は「殿様が側室と認める」ではなく、「正室が側室と認める」が一般的。側室が欲しい場合は正室に

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ドラえもーん」という感じに頼まなければなりません。正室もはいわかりましたと二つ返事はしなかったでしょう。たまに側室を置かない戦国武将がいますが、夫婦仲が良かったというよりはかかあ天下だったという穿った見方もできますね(特に直江兼続や小早川隆景といった婿養子の場合は)。












不倫に対して強硬姿勢を見せてくる正妻は意外と多くというかほとんど夫が大変な目に遭い、薙刀持って追い掛け回されたり側室ごと始末されかけたり家中の人間・弟や子供たちまでカルト宗教に改宗させられたりいろいろ怖い目に遭う場合もあります。側室一人作るのも命がけの時代です。今もそうだよ!







さて、正室は普段どのような仕事を送っていたのか。箇条書きにしてみると・・・


 ・家中(奥女中や侍女、下人など)の人事と管理
 ・側室の人事と管理 
 ・若い譜代家臣の統率とメンタルケア(ねね様の子飼い武将を例に挙げると分かりやすい)
 ・大名不在の領国経営
 ・家内文書(内向きで使われる書類)の発行
 ・嫡男や子供たちの養育
 ・他国と戦争した場合の調停官
 ・政略結婚の場合は実家に情報を送るスパイ活動の役目




などがありました。正室には大概他国の大名家という実家がありましたので、実家を怒らせないためにも夫は常に正室を立てる必要がありました。最たる例は真田信之と小松姫です。信之には既に清音院殿(先代当主・真田信綱の長女であり、真田家の後継としては形式上信之よりも正統)という妻がいましたが、徳川との戦後交渉によって本多忠勝の娘、小松姫と婚約することになったところ、清音院は側室あるいは家人という身分を格下げされ真田家の記録からもほぼ消されてしまいます。小松姫のバック(徳川家康や本多忠勝)が怖いため、清音院を大切にすることが憚られたのでしょう。その他にも小松姫が恐妻だったというエピソードは数多くあり、信之のストレス源となったのは違いないでしょう。


正室は殿様にとってパートナーではありましたが、それと同時に大切な取引先の相手でもありました。それゆえに気心が置けないことも多かったと思います。


逆に側室は、殿方からのプロポーズかお互いの恋愛によって決定されるので今の恋愛結婚に近い。愛人と正妻は現代に通じる話でもあるのでイメージしやすいと思います。側室は嫡男がいない限り子供は当主になれず(文家を興す可能性も低い。母方の家を継ぐことはある)、正室の管理下に置かれたため、不自由な身ではありましたが、正室が行う仕事を一切やる必要がなかったため実はオイシイ立ち位置でもありました。


仕事内容と言えば、殿方がその気になった時だけ夜のお相手をするぐらいで、後は日中庭などを眺めてお茶やお菓子でも食べて過ごしている・・・家によっては正室の手伝いをするなど精力的に活動しましたが責任の無い気楽なものでした。ただ、信長の側室・生駒吉乃や家康の側室・阿茶局のように正室ばりのお仕事をすることもあったようです。側室がやたら仕事をしている場合は、正室との結婚が完全な政略結婚であり、夫婦仲は冷め切っているどころか敵対関係の場合なのかもしれません。



側室は家臣や家老の娘や、お手つきになった奥女中の侍女など様々であり、正室との関係は主人と召使の関係から、姉妹のように仲が良い場合と様々。非常に珍しいケースですが、真田阿梅のように正室から「この子ならうちの主人を任せられる」と指名されて継室に昇格するケースもありました。上司と仲良くするにはどの時代も越したことは無かったということでしょう。