ヴィクトリア朝のイギリスは産業革命と植民地経営によって世界の大半を支配していた黄金時代でありました。しかしその陰には植民地からの搾取・・・と同時に本国イングランドの人々の限界を超えた労働環境の末に成り立っていたことは有名なことでしょう。

 

 

 

霧の街と呼ばれたロンドンの悪質な衛生・労働環境の逸話は枚挙に暇がありませんが、単に労働環境がきついだけならイギリスに限らずって話だと思います。聖書では7日のうち1日を休息日と定め、残りのワーキングデイのモチベーションを保たせる工夫がされてあったのに対して、ヴィクトリア朝時代のロンドンは休息の場すら存在しませんでした。

 

 

 

 

ずばり今回紹介するのは「ぶらさがり宿」。

 



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え、なんだこれは(困惑)


人間の屠殺場?


みすぼらしい身なりをした多数の人間がヒモに体重をもたれかけて倒れています。

家賃すら払えない最下級の労働者たちが最後の防波堤として利用した宿で、その代金は1ペニー。時代にもよりますが、労働者が好んで飲んでいたビールが2ペンスなので、だいたい日本円に換算して150円~300円ぐらいで泊まれたと考えていいでしょう。部屋に一本のロープが張って合って、そこに労働者たちは上半身をもたれかかって休息をとるのです。もし疲れ果ててロープからずり落ちて床で寝そべったら罰金3ペンス)。

 

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ちなみに2ペンス払えば座って眠るオプションが増え、4ペンス払えば棺桶の中で眠ることができたらしいです。(4ペンスの棺桶は西成のドヤがドバイのロイヤルホテルのスイートルームに感じるほど劣悪なものでしたが、これでも当時のロンドンの労働者にとっては最良の宿場として競って駆け込みました)

 

 

こんなところで寝ていた方が体力が削られそうな気がしますが、これでも雨露しのげるだけマシといった感じでした。もっともイングランドの人々からすれば満員電車のような劣悪な環境でも眠れて、目的の駅に着くときっかりと目が覚める日本人の環境の方が驚きを感じているようですが、、、

 

 

 


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まぁ、ちょっとランクがあがってベッドのある宿で寝られたとしても、ロンドンの夏は蒸し暑く、また一つの部屋に何人もの労働者がすし詰めで寝ていたようで、暑さと衣服にわく虫から逃れるため裸で寝ていた労働者も多く、後はみんなのおもちゃです。

 

 

 

危険な労働環境のみならず、オフの時間すらままならぬ生活の中で人々が生きていけたのかというと当然できないわけで、当時のロンドンの平均寿命は356ぐらい。乳幼児の死亡率抜きにしてこれですから、まさにロンドンは地方からあぶれた労働力を使い捨てし続けるだけの機関と化していたのです。

 





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労働者の命をすりつぶして得た栄光の時代・・・と考えられなくもないですが、もう一つヴィクトリア朝が犠牲にした者があります。

 

 

 

それは料理。






まず労働者の家にキッチンがない。というか飯の炊き場がない。あったとしても労働時間が長すぎて料理する時間も食材も、そもそも子供の頃から親元を離れてロンドンにやってきたので調理法も知らない。こうして、田舎の家庭料理が次の世代に遺伝することなく、あるとすればテムズ川の汚れたヘドロの中でも生きていけるウナギを捕まえてぶつ切りにしてそれを煮詰めたもの。

 







 

 

 

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イギリス人は三昧舌なのに、味覚は破壊されているんだな!マジおもしれー!

 

 

 












 

ただ、日本も対岸の火事と笑えない状況ではあります。現代の東京は長期間労働がデフォルトで地方出身の独身も多いため、コンビニ飯で暮らす若者も多いでしょう。12年ならまだしもこれが数十年続いた先には地方の郷土料理の文化が廃れ、イギリスと同じくファストフードと冷凍食品だけの国に成り下がる未来もあるかもしれない・・・!?











イギリスの家庭料理
砂古 玉緒
世界文化社
2015-07-25