イーロン・マスクがツイッターを買収が世界中で波紋を読んでいます。世界一の富豪であり、火星への移住計画やウクライナへの支援を全面に押し出すなど2020年代はまさに彼の時代でありますが、大のポリコレ嫌いでも知られ、ツイッター界隈では有料にする代わりに凍結などのない自由な言論の場(裏を返せば金さえ払えばある程度のヘイトスピーチは大目に見る)にするのではないかと巷では言われていますね。

 

 

昨今のツイッター言論は匿名掲示板のそれを上回る崩壊っぷりで、見るに耐えない誹謗中傷とデマのオンパレードですから、政治家でもない私でさえ「日本人には少し言論を縛る必要があるのでは?」と思っちゃうぐらい酷い。

 

 


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匿名掲示板は匿名掲示板で問題があり、個人の秘匿性が高いことをいいことに、思ってもないことを世間ではバッシングを受け社会的に制裁を受けそうな過激な論調で主張します。しかし、ひとたびその書き込み主が特定されたとなれば、待っているのはこの先日本国憲法通用せずと言わんばかりの集団リンチで、生肉をぶちまけられる、ヤクザや統合失調症患者をけしかけられる、放射能汚染された土を庭先にまかれる、書き込み主を糾弾する目的で和製アノニマスが誕生する、その組織がイスラム国を始めとする日本のみならず世界各地へ喧嘩を売りその書き込み主に原因を押し付けるなど、その因果応報っぷりには枚挙に暇がありません。

 

 

 

このように悪行の限りを尽くす日本のネット論壇ですが、そんな彼らが一時期「鎌倉武士はヤベー蛮族」だと大々的に主張していた時期がありました。「鎌倉殿の13人」放送の発表を受けて鎌倉ブームが到来したのか、あるいはアフィブログの世論工作に惑わされたのか・・・以前このブログでも鎌倉武士蛮族説を否定した記事を書いていました。

 





 

 

今回はそれに補強する形で御成敗式目に登場する鎌倉時代の誹謗中傷の罪についても解説していきます。

 

 

 

いくら鎌倉武士は蛮族でなかったといっても、この時代の坂東武者は地域の有力者たちが在野領主化する中で自領のテリトリーを保つために武力を持たなければやっていけない時代です。時には近隣の武家と衝突することもあり、源平の戦いから鎌倉幕府成立にかけては多くの武家が武力衝突し時に滅亡の憂き目にあっていきました。

 

 

しかし、武力衝突の前には必ず兆候が存在し、時の権力者となった北条義時・泰時親子は何とかしたいと考えていたようです。御成敗式目の制定者でしられる北条泰時は、武家政権初期のリーダーとして時に冷血な判断を下すこともありましたが、概ね主君によく仕えたり、親孝行に惜しまない人物などには手放しで称賛してこれを支援し、先の頼朝時代に比べてはるかに温厚(当社比)な人物であったとされます。

 

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安定政権のためには豪族たちの武力衝突をやめさせ、裁判によってどちらが正しいか権力者が判断する必要がありました。頼朝から義時の時代にはまだ政権支配が東国の一部だったこともあってリーダーや合議制で何とかなったものの、泰時の代になると持ち込まれる訴訟の数は膨大なものになります。これに対応するため、泰時は裁判をする際のガイドブックとして御成敗式目を定め、マニュアル化したのですね。「少なくともこういった悪行をしないのは常識だよね」という感じで。

 

 

51条あるこの法律の中で特に目をひくのが第12条悪口に関する条です。

 

 

12条:悪口の咎の事

争いや殺人の下になるので、悪口は禁止である。重大な場合は流罪。軽い場合でも牢屋に入れる。また、裁判中に悪口を言ったものは、訴訟が正しいか正しくないかに関わらずその時点で悪口を言った者の負けとする。ただ、相手が悪口を言ったと訴え出てそれが嘘であった場合は、告げ口した者を罰し、領地を取り上げる。領地が無い場合は流罪とする。

 

古来の罪は、重い順に死刑⇒耳鼻削ぎ⇒流罪であり上2つは殺人とか穀物庫破りとか、そりゃ誰から見ても死刑だろってレベルの罪だったので、この悪口=流罪という判断は相当に泰時が重く見ていたのだと推察できます。

 

 

今も口喧嘩がヒートアップして殺傷沙汰や暴力事件に発展するケースもなくはないですが、かなり稀で、そういった事件が起きれば大騒ぎになります。しかし武士の世の中では相手も味方も刀を持っていますから、悪口がダイレクトに刀傷沙汰になってしまうんですね。悪口の沸点は戦国時代に至っても同じレベルでかの武田四天王内藤修理でさえ

 

武士の口喧嘩は面子がかかっているので最後には刀での殺し合いしかなくなる

 

何て発言しており、悪口や誹謗中傷というのは相手に対する殺害予告や宣戦布告と同義だったのです。誹謗中傷くらいで・・・と言いますが、今も誹謗中傷がエスカレートして殺害予告に発展すると言うケースは毎月のように発生しているのですから到底許される行為ではないと思う。

 


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ただ、泰時も悪口の罪を悪用して相手を貶めようとする輩も出てくるのでは?と考え、根拠なしに「あいつが悪口言ってましたよ!」と訴え出るようなことが無いように定めたのは流石ですね。讒訴防止は徳川家康が百姓の訴状について

 

 

代官に問題なければ遠慮なく奉行所などに訴え出よ。しかし、審議しても代官に落ち度がない場合は、百姓が罰を受けるので濫用しないように

 

 

なんて感じのルールを定めており、これも泰時の御成敗式目の流れを受けて上記の考えに至ったんじゃないかなと思われますね。

 

 

 

ちなみに当時の悪口にはどんなものがあったのか。「母まき」って言葉があります。

「まき」とは動詞「まく」の名詞化で漢字で書くと「枕く」となります。母と一緒に寝ると言うことで海外でいう「motherfucker」。「お前の母ちゃん出べそ」なんて子供同士の口喧嘩の代名詞のように用いられますが、武士同士の口喧嘩が近所のクソガキレベルなのはほほえましいのか、それで刀抜き始める武士の沸点が低いのか・・・。

 

 

はやく引き金をひけよ





 

逆に僧侶が放つ悪口は強烈。建久9(1193)、頼朝が寄付した東大寺の復興費用を僧が東大寺のために使わず民衆のために使っているのではないかという告発書が届きます。頼朝は僧に告発が本当なのか弁明を要求。「民衆を助けたい思いは立派だが、これは東大寺のためにということで送った金だ。別の使い道にあてるのは横領ではないか」という訳ですが、これに対して僧は次のように反論。

 

 

誰か私に逆恨みをしてこのようなことを言ったのだろう。私を訴えた奴らは無間地獄に落ちる

 

 

「地獄に落ちろ」はシンプルな悪口ですが、現代よりも死生観が大切だった武士たちにとって死刑宣告よりも衝撃だったでしょう。「死ね」「殺す」だったら死んだらそれでおしまいですが「地獄に落ちろ」は死んでも許さないって意味になりますからね。しかもそれが宗教関係者だったらただの悪口では済まされない。この後、僧がどうなったのかははっきりとしませんが、脳の血管がプッツンしている頼朝の姿は想像に難くありません。

 

 

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SNSの発達により、星の数より多い誹謗中傷が飛びかうようになりました。たかだか1000年で倫理観がかわるどころか、ますます人間の倫理観は獣に近づいているような気がします。暴力が伴わないのは人々の生活の質が向上したからで悪口は言うんだけれどもそれ以上の行為には及ぶことは少ないというのは現代社会の不幸中の幸いかもしれません。しかし、今後社会情勢の変化や地球環境の悪化により、人々の生活が困窮し、しかしSNS世界の倫理観のまま暮らし続けると・・・

 

 

 

それは70億総十字軍時代が到来するかもしれません。

 

 

 

余談ですが、仏教でも十戒で悪口は禁じられています。その名も「不悪口(ふぁっく)」。汚い言葉を使うなと汚い言葉で戒めるのか・・・(困惑)

 

 

「人に死ねっていうな!殺すぞ!ボケ!」みたいな?

 

 


 

 

 

(管理人の感想)

あほしね。