島流しとは日本・中国などで見られる刑罰の一種で、死罪に次ぐ追放刑に分類されます。「島」とありますが、文字通り孤島に送られる場合もありますが、中央政権や大都市から追い出される場合でもこの島流しという言葉を使います。

 

 

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古くは政治犯、戦に敗れた貴人や文化人に対する罪であり、大人の都合で死刑にできない人物や、死刑にするほど罪があるわけでもない場合、あるいは助命嘆願があった時に用いられています。最も盛んだったのが、交通網の発達した江戸時代で、結構な頻度で島流しが発生していました。1862年~1865年の4年間で島流しを言い渡されたケースは103件。月に2人ぐらいは島流しが発生している計算ですね。

 

 

まぁ殺人・放火・強盗累積犯など誰がどう見ても重罪人のケースって少ないですし、犯罪にもそこに至るケースを考えると千差万別ですからね・・・。業務上過失致死、傷害致死、殺人をしたが自首(あるいは共犯逮捕に協力した)ここら辺は大方、死罪ではなく島流しになりました。また、島流しになった後も、数年~数十年後、罪が許されて本国に帰還したり、親戚の援助を受けて追放先でも何とか生き永らえる、場合によっては宇喜多秀家、松平忠輝のように50年以上もそこで生きたケースもあります。

 

 

 

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ところが、中世以前の島流しは死刑もかねた重々重罪にあたります。平安時代の一時期は死刑が停止され、最高刑が流罪だったということもありますが、大きな理由は、中世以前の日本は統一権力の支配力があまり強くなく、流罪に処された人物が自分の生きていた社会から排除されることは、人権を失うこと、下手をすれば流罪先に送られる途中で盗賊などに襲われ命を落とすケースも多くありました。辛うじて流罪先にたどり着いても、何の支持基盤もない土地で生きていくことは容易ではなく、二度と故郷の地を踏めないという意味でも死刑以上の重い意味合いとしても使われたのでしょう。人権を剥奪されたまま、どこにも属さないまま日本で生きていくこと・・・今でも日本人のアウトローに対する差別意識はとんでもないものがありますし、これが中世以前なら奪っても殺しても全く問題ないという考えに行きつきます。

 

 


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さて、そんな流罪ですが日本初の島流しはいったい誰だったのでしょうか?「古事記」によると、古墳時代、第19代天皇の允恭天皇の子供達である、木梨軽皇子と軽大娘皇子です。木梨軽皇子は帝の治世19年目に立太子し、ゆくゆくは天皇になるほどの人物でした。また、同母妹の軽大娘皇女は9人の子供たちの中で最も美しく美しさが衣を通して現れるということで「衣通姫」とも呼ばれていました(パリコレモデルみたいなものか?)。ある日、2人は男女の関係となっていることが発覚。

 

 

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衣通姫(wikipediaより)



古代天皇家(に関わらず日本世界関係なく古い時代の貴族階級)では血を薄くしないという観点から、親戚同士の結婚は推奨され、天皇家でも異母兄妹(姉弟)の婚姻は認められていました。しかし、同母の場合は認められておらず下手をすれば死罪でした。この理由は個人的な考えですが、原始日本の社会が母系社会・女系社会だったため、その名残からとも解釈できるのではないでしょうか?同母兄妹で情を通じるのは母に対する背信罪ですからね・・・。

 

 

当初は皇太子という立場から、不問となるものの、後ろ盾となっていた父の允恭天皇が亡くなると、軽皇子は伊予国に流罪となり、弟の穴穂皇子(安康天皇)が皇位に就きます。また、妹の軽大娘皇子はそれを追って二人は再開し、その後二人は行方知れずとなります。(自害したとも、自害したことにして隠棲し庶民として暮らしたとも)

 

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 (ヨスガノソラより)




 

と、これはまぁ伝説の話で実際はどうだったかは分かりません。そして古事記や日本書紀に描かれる逸話って継体以降の大和朝廷の話をメタファー的に語り継いでいることもあります。

 

 

 

今回の場合であれば中大兄皇子と間人皇女の関係に対する陰謀論が含まれるとも考えられます。2人は皇極天皇を母に持つ同母兄妹で、彼らもまた男女の仲だったのではないかと指摘される説があります。

 

 

それが母・皇極天皇の死後、中大兄皇子がなかなか天皇の座に就かなかったこと(本人が拒否していた)、彼が妹の間人皇女あてにた歌

 

 

 

金木着け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか

 

 

 

この「駒」「見る」が古代では「妻」「結婚する」意味で用いられていることから、兄妹相姦があったのではないかという説が細く支持されているのです。実際にそんな事実はなかったとしても、古事記・日本書紀が描かれた時代は天武・持統系列の皇族の治世下。天智と天武は対立していたことを考えると、天武朝の関係者たちが自分たちの正当化のために天智朝を間接的に否定するために、このようにうがった見方ができるような逸話を作った・・・とも考えられるのです。

 

 

 

 

 

その後も、天皇や皇族は度々流罪となりました。保元の乱の崇徳上皇や承久の乱の後鳥羽上皇、そしてみんな大好きGODaigo天皇などなど・・・流刑地での暮らしはいっそのこと殺してくれと言われるくらいに過酷なものでしたが、この衣通姫伝説、もしこれが本当の話なら二人の流罪先での生活はどのようなものだったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

管理人の感想

ヨスガノソラが10年以上前ってうせやろ・・・?時間の流れが速すぎる。

 






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