スポーツの世界においては突き詰めて考えると運の要素も大きく絡んでくるように思える。教育上それではよくないから努力!努力!努力!とあくまでも個人の力を主張する日本の教育界、放送業界だが、トップアスリートの世界では努力なんてものは必須条件であり、そんなものアピールポイントにはならない、努力値カンストを前提条件にそこから運があるかないかによって次のステップを進めるのでしょう。

 

 

 

ソルトレイクオリンピックショートトラックの金メダリスト、S・ブラッドバリーも「スポーツの世界は運である」を体現する人物でした。










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オーストラリアのスピードスケート選手であるブラッドバリーは元々1991年シドニーで行われたショートトラック5000mリレーで金メダル、1994年リレハンメルオリンピックで5000メートルショートラックリレーで銅メダルなど、決して弱い選手ではないのですが、年を経るにつれて全盛期は去っており優勝候補からは程遠い人物でありました。

(前回の長野オリンピックでは5000メートルリレーが8位、個人500メートル、1000メートルがそれぞれ19位、21位)

 

 

迎えたソルトレークオリンピックにおいて、1回戦は幸運にも同じ組に強力なライバルがいなかったことでブラッドバリーは混戦を制して1位でゴールし準々決勝に進出。準々決勝ではレース中盤からはトップから大きく引き離されるものの、最終コーナー直前で前方2人が衝突し大きくコースアウトしたため3位でゴール。さらに1人が妨害行為と判定されたため失格扱いになり繰り上げでブラッドバリーが準決勝を進出します。

 

 

 

準決勝からは周りは優勝候補だらけで終始集団から遅れを取り最下位で追走する中、残り半周で前3人が次々と転倒し2位でゴール。さらにトップ通過の選手も他3人を妨害したと判断されて失格扱いとなり、繰り上げで1位となり決勝へ進出したのです。

 

 

 

「決勝では体が痛く、到底(優勝候補の)ペースにはついていけなかった」「2人転べば銅メダルだ、そう考えて走っていた(これはあくまでも彼のジョークだが)」試合後そう報道陣に語ったブラッドバリー。決勝では準決勝よりもさらに大きく遅れをとり、試合のカメラに一人映らないレベルで差がついていたブラッドバリー。しかし、二度あることは三度ある。ゴール直前にて優勝争いをしていた4人が全員転倒。後方でクラッシュを免れたブラッドバリーは猛スピードで転倒から立て直そうとする4人を後目に追い抜き、優勝候補筆頭であったアポロ・アントン・オーノはそれでもいち早く体制を立て直しましたが、それでも間に合わずブラッドバリーは見事トップでゴールソルトレークシティの金メダルを手にするのでした。

 

 


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ブラッドバリーの金メダルは冬季オリンピックにおいてオーストラリアは勿論南半球で史上初の金メダリストとなり、彼は母国では英雄として記念切手が作られると共に、オーストラリアのことわざに「意図せず大きな成功を収める」ことを「doing a Bradbury」というのができるなど、オリンピックの名場面として度々取り上げられる有名人になったのです。

 

 

 

もっとも「最も幸運なスケート選手」「たなぼたの金」と紹介されることが多いですが、ブラッドバリーの金メダルはたまたま運が良かったからということでは片づけられないでしょう。

 

彼は過去に2つの命の危機を経験しています。1994年、モントリオールのレースにて他の選手のブレードによって足を大きく切り裂かれ、4リットルの血液を失い、111針を縫う大怪我を負っています。また2000年には練習中に転倒して首の骨を折る大事故も経験しています。

 

 

優勝後のインタビューでは「金メダルは1分半のレースでは与えられたと思っていない。10年間の苦労に対して神が与えてくれたのだろう」と語っています。常人なら死んでもおかしくない怪我を2度も乗り越える胆力があったからこそ金メダルをチャンスがあったのでしょう。さらに言えば決勝戦ではブラッドバリーのスコアは自己最高スコアであり、仮に予選と同じスコアであれば転倒込みのアントン・オーノに負けています。

 

 

 

不屈の精神とベストを尽くすというトップアスリートにとって必須項目をクリアしたうえで、そこに常人ならざる運が重なり幸運の女神がほほ笑んだのでしょう。