前回から連続して信長公記からの記事です。
元々、信長は他人からの伝聞や噂話をすぐには信じず、自分の目で確かめなければ気が済まない性格です。それは生涯にわたってそうだったようで、安土城に住んでからしばらくたった天正年間(天正8年/1580年)にも似たようなエピソードが記載されています。
安土城下にスピリッチュアルな力を持つと自称する無辺という僧が訪れていました。それは瞬く間に安土城下に広まり、城下の人間が話題にするので信長の耳にも入るところとなったようです。
信長も何か思うところがあったのか、自分も会ってみたいとして無辺を呼ぶことにしました。そこで信長と無辺の会談が行われるのですが、どちらかと言えば尋問の様相を呈しており・・・
信長「お主の生まれはどこだ」
無辺「無辺」
※無辺=無限の世界
信長「(無辺という国はない)中国かインドの生まれなのか?」
無辺「私はただの修行僧だ」
うーん雲を掴むような回答で、無辺はまともに取り合おうとしません、ここら辺で信長も苛立ってきたのか
信長「人間なのに日本でも中国でもインドの生まれでもないのは世に不思議な話だ。さては化け物だな。ならば火に炙ってみよう。火の用意をせよ」
と家臣に命じたので無辺は慌てて
無辺「出羽の羽黒山出身です」
と答えました。(火に炙ってみようは黙秘権使う奴に是非やってほしいパワーワード!)
で、ここから信長はしめたとばかりに無辺の身辺情報を暴露。まぁ元から無辺が売名行為で金を稼ぐ悪僧であることは承知済で、下調べをして臨んでいたのです。
「自分自身は無欲で人から与えられた物はすべて石場寺の人間に与えているが、ずっと石場寺に出入りしているのだから、見返り貰ってるんだろう?」と。
とはいえ、大和の果心居士のように、殿様の前で不思議な力を披露して仰天させた超能力者は同時代にもいます。ここで無辺も、自慢の霊験を起こせば「なるほど」と信長から無罪放免を勝ち得ることもできたのかもしれないのですが、結局、無辺は信長の前で力を発揮できず、詐欺師だということがバレてしまいました。
それで、いろいろ恥をかかされた上で安土から追放されてこの話は終わりと思われましたが、まだ続きがあります。
さらに調査をしていくと、なんとこの坊主安土城下の人々から金を巻き上げるだけでなく、子ができない女性や病気の女性に「施術をするからへそを見せてみよ」と「へそ比べ」なることをしていたことが発覚。
へそ比べとは信長公記のここでしか使われない言葉で、おそらく無辺が言った言葉なのか著者の太田牛一が表現をぼかして書いた表現ですが、まぁ何をしているのかはお察しの通り。
怒りを通り越して呆れ返る信長は
各地の部下に無辺を指名手配にし、再び彼をとらえると糾明の上、その首を刎ねてしまいました。
この頃の信長は北陸攻め、中国攻め、石山戦争の終結工作、朝廷との仕事などマルチタスクを抱え非常に精力的な活動を行っていました。24時間働けますかと言わんばかりに猛烈な活動をしていた半面、家臣の些細なミスにキレて(留守中に遊びに行ったりとか、掃除をさぼっていたりとか・・・)処刑する典型的なパワハラ上司と化しています。
非常にストレスのたまる一方で少しは休めばよかったのにと思わずにはいられませんが、奉行に任せればいいようなこんな城下のトラブルにも対応しているあたり、世間の話題には首を突っ込み白黒はっきりさせなければ気が済まない性分なのでしょうね。
ちなみに後日談があり、無辺の出入りしていた石場寺に「何故あのような犯罪者を泊めていたのだ(同業者の身からしても信用問題にかかわるだろう?)」と尋問しています。それに対して石場寺は「御堂の雨漏りがひどく、治したくても最近はお金が無いので無辺が集めてくる勧進が必要だったのです」と正直に回答。信長は石場寺にお寺の修理費用として銀三十枚を与えています。
結局、世の中信心だけではなく金を集めるインフルエンサーを頼らざるを得ない悲しい社会の実態がそこにありました。
でも最近どんどん教祖兼テロリスト兼ヨガのインストラクター兼アニメ声優兼PC屋兼お弁当屋のあいつに近づいている令和の無辺ことプぺル西野は逮捕しろ。
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