クリスマスガチャの前に武将紹介状を小少将に溶かしました。結果は☆4どころか☆3すら出てこず・・・留守顕宗とかいう謎の老人が7人ぐらい出やがって・・・許さんど!ここ2か月で30回ぐらいガチャしてるけど☆4が一切出てこなくなりました。紹介状返して・・・返して・・・。

 

 







 

あまりにも悲しいので今回は供養もかねて今回は斎藤小少将の解説を行います。






斎藤小少将




傾国とは美女を表す言葉で、だいたいネガティブな意味で用いられます。主君が側室の美女にうつつを抜かして政治や軍事が疎かになり一代で身を崩すといったことは世界中どこにでも発生しうる出来事でした。

 

 

有名な所では玄宗と楊貴妃でしょう。玄宗皇帝はかつて唐を全盛期を作り上げた名君でしたが、楊貴妃を寵愛しすぎた結果、安禄山の変の引き金となり、実に世界人口の10分の1から5分の1を失う大乱を引き起こす大惨事を引き起こしたのです。

 

 

 

流石に今の世界、というか日本においてもそこまで多くの犠牲者が出ることはないですが、似たようなケースはあります。それが朝倉義景と斎藤小少将の2人です。

 









 

 

永禄11年、朝倉義景は悲痛に底に沈んでいました。待望の嫡男・阿君丸を病にて喪ったのです。阿君丸の死には毒殺説や一門内の同族争いなどいろんな説もあるのですが、とにかく愛する我が子を失ったショックは大きく、政務も何もかもほおりだして鬱々とした生活を送っていたと言います。まぁ息子を失うって歴史的にみても相当こたえるものがあります。長宗我部元親はメンヘラ化し、毛利元就は家臣も敵も無差別粛清し、イヴァン雷帝は雷が打たれたかのように性格が一変し、愛娘の時でさえ人前で泣くことを控えた最上義光は息子の死体を抱え大号泣、大内義隆はホモになりました。

 

 

 

この時、中央は大変な動乱の中にありました。長らく続いた三好氏と将軍の対立が頂点に達し、三好義継と三人衆が将軍・義輝を暗殺したのです。この蛮行に対し、義輝の弟・義昭は幕臣たちと共に再起を図り、自分たちの味方になってくれる勢力を探して放浪します。

 







 

しかし、かつて幕府に味方した若狭武田、大内、六角、畠山といった勢力は軒並み滅ぶか衰退して、新たな支援先を探さなければいけない状態でした。そこに白羽の矢が立ったのが朝倉家でした。義景の正室と継室はそれぞれ、細川家、近衛家から貰った名門で義昭を擁立する格も十分でした。阿君丸の死までは、義景含めて義昭上洛の準備を整えていざ出発という直前まで進んでいたのです。

 

 




 

結局、それどころではなくなったことで義昭らは義景を見限って次の受け入れ先である織田信長を頼って美濃へ逃げて行ってしまう始末。残された一乗谷もこれ以上政務に取り掛かってくれないと仕事が山積して回らない状態です。

 

 

 

そこで、家臣たちは義景の悲しみを少しでも和らげ、元の義景に戻ってもらうために「美人の嫁さんが必要だ」と新しい側室を用意に走りました。






斎藤小少将2









 

 

 

斎藤小少将は斎藤兵部少輔の娘とされ、出生は不明。美濃斎藤家からやってきた説もあり、旧斎藤家や斎藤道三の一族だったかもしれません。ただ一つの事実は義景が元気を取り戻すくらい美人であったこと。



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すぐに2人の間には息子が生まれ愛王丸と名付けられます。愛というのは愛染明王の「愛」であるッッッッではなく、現在と同じく可愛いという意味です。義景の喜びっぷりが目に浮かびます。義景復活ッッッッッッ!!!!とはいきませんでした。妻子を溺愛しすぎたのです。現代日本なら妻子を大切にするよき夫と評されたかもしれません。しかし、この時中央では信長に擁立された義昭が将軍職に就き、二人から討伐のターゲットにされるという朝倉家存亡の危機に瀕していたのですから・・・

 

 

 

にも関わらず、義景は政務に戻るどころか余計に小少将との遊興にふけり、嫁の言うがままになてしまったのです。典型的な馬鹿殿です。ただ滅亡した家のことですから「嫁のいうがまま」というのは小少将に責任を押し付けすぎかもしれません。一般的な社長の愛人なんて碌なイメージないですから、実は聡明な人物だったかもしれません。

 






 

 

ただ「夫がアホすぎて家がヤバいんであたしが代わりに政務をとります」となった芳春院や洞松院(この2人が逆に優秀すぎるだけのような気が・・・)のようなエピソードが出てこない当たり、小少将も戦国を生きていくだけの才覚には恵まれなかったといえるでしょう。

 

 

 

やがて織田と朝倉の全面戦争に突入。周囲の諸大名の参戦もあり一時期は信長を逆に追い詰める場面もありました。しかし、ここで義景の行動は精彩を欠き、武田信玄から名指しで「あいつは使えねぇ」と批判したりしています。ようやく義景が本気を出して自ら出陣した時には、同盟先の浅井家が包囲され滅亡寸前。出陣しただけ出陣してそのまま敗走し、さらに山崎吉家ら重臣たちを多数失う結果となってしまいます。

 


 

 

ここにきて堪忍袋の緒が切れたのか、既に討死したり敗戦を悟って死んだふりを決め込み誰も味方にならない中、唯一出陣してきた朝倉景鏡は、義景一家を「一乗谷から去り、我が領の大野にて再起を図りましょう」と提案。しかし、これこそ罠であり、既に信長に通じていた景鏡は義景の寝所を襲って自刃に追い込みます。小少将は子の愛王丸や義景の母と共に捕らえられています。

 





斎藤小少将3




 

その後の小少将の消息は分かっていません。この後の記録では愛王丸と義景の母は丹羽長秀軍に引き渡された後、護送の途中で殺されるのですが、小少将の名が無かったりします。少将の父もこのとき一行にいるのですが、記録から途絶えています。おそらくはここで殺害されたと考えるのが自然ですが、岐阜の願興寺では義景の側室が寺の別当を頼って落ち延び、遺児を出産したという言い伝えがあります。この側室が小少将である確証はないのですが、義景の溺愛っぷりや美濃と斎藤の関係を考えると、完全に否定はできないでしょう。

 

 







 

(管理人の感想)

ちなみにこの寺は当時、可児才蔵が槍の修行で暮らしていたという伝説もあります。いろいろ属性もった寺だな。






それにしても小少将ちゃんは微笑んでくれなかったのか・・・これも戦国の習いよ仕方ない。まぁ私はむさくるしいおっさん共のパーティーで戦い続けるわ・・・


そういえば肥前アナザー攻略のために龍造寺の育成もしたいとろだ。もう2か月ぐらい星4引いてないし一人ぐらいは隆信とか直茂とか当たるやろ・・・







龍造寺ガチャ10連したら・・・

 


































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てやあああああああああああああああああああああああああああ