images2681UF1Z

織田氏は元々尾張の守護代、室町時代には尾張は足利氏一門の名家・斯波氏が守護として治めており、織田氏はこれを補佐する立場でした。応仁の乱により斯波家は分裂、これに呼応する形で織田家も分裂し織田大和守家(清州織田家)と織田伊勢守家(岩倉織田家)に分かれました。清州織田家は両家の対立を制し、本流として周囲の家から認められるようになります。ところが、清州織田家も尾張の内乱に巻き込まれ、徐々に衰退。代わりに台頭してきたのが大和守家の家臣筋である織田弾正忠家なのです。おなじみ織田信長の家です。

 

弾正忠家当主・織田信秀は熱田神宮や名護屋湾の海運を支配下においており、潤沢な経済力を背景に清州織田家はもちろん周囲の勢力を圧倒しておりました。こうするとヘイトを貯める者が出てくるのは必然の流れ。信秀も廻りの人間から恨まれないように主家の清州織田家・斯波家の顔を立てながら尾張の政務を取りまとめておりました。

 

清州織田家の当主・達勝はそのことを熟知しており、信秀とは波風立てないように家臣の台頭を黙認してきましたが、達勝の老齢と共に、清州織田家にもよく思わない連中が力をつけてきます。




 

 

1548年、達勝の病気、そして加納口・小豆坂という信秀の相次ぐ敗戦により、「清州おとな衆」と呼ばれる清州織田家の武将たちが信秀の留守中を狙って襲撃する事件が起こります。坂井大膳を始めとする清州織田衆は信秀サイドを攻撃し、翌年には和睦するのですが、責任を感じた達勝はこれを機に隠居。かわって大膳ら清州衆は清州織田一族の信友を後継者として担ぎ上げます。「担ぎ上げる」とだけあって、信友は事実上の傀儡政権、政務は坂井大膳ら清州衆によって握られたままなのでした。

 






 

 

さて、1552年、ライバル信秀が流行病で亡くなると、後を継いだ信長は奇行の数々で譜代の信頼を失っており、弾正忠家は混乱の域にありました。これに乗じて清州織田陣営は尾張の主導権を握ろうと行動し始めます。大きな連携を見せたのが駿府の今川義元でした。既に三河を手中に収めていた今川氏は信長の経済圏である尾張に度々侵攻しており、弾正忠家を脅かしていたのです。



00003


 

ですが、信長にも味方がいなかったわけではありません。信友の主君であるはずの斯波義統は信友と仲良くすることを快く思わず、信長の弾正忠家に肩入れしました。斯波家は信秀時代から多額の資金援助を受けており、束縛して傀儡にするしか考えのない清州織田家など価値はなかったからです。また、今川義元との連携も、守護大名の立場として許せない出来事でした。

 

こうした清州織田家の行動に嫌気が差した義統は、信友が信長暗殺を計画していることを知ると、信長に計画を密告し助けます。これを知った信友は何か焦っていたのでしょうか、天文23(1554)7月に、嫡男・義銀は斯波家の家臣らと遊山に出ているうちに、坂井大膳を筆頭とする清州衆が斯波家屋敷を襲撃させます。突如の襲来、そして武芸に自信のある家臣たちはみな出かけていたため、衆寡敵せず義統は一族と共に自害。



sibagimu


 

信友はこの勢いで義銀も手にかけようと追ってを差し向けますが、屋敷に火の手が上がっていることに気が付いた義銀は慌てて落ち延び信長に助けを求めました。結果義銀の庇護者という大義名分を得た信長は信友ら清州織田家を主殺しとして避難し討伐の対象にされてしまいました。しかも信長と対立し、信友とは友好関係を築いていた織田信行ら他の勢力も義統殺しを批判して反信友を表明したため信友は尾張国内で一気に孤立していきました。



sibas

 

 

義統暗殺から1週間後、信友討伐軍として柴田勝家が出陣、斯波義銀をかこっている信長に主導権を握られまいとする信行の判断でした。国内の御家騒動ぐらいしか実戦経験の薄い清州勢は柴田勢に忽ち追い詰められ、迎撃に出た30騎程度が討ち取られてしまいます。安食の戦いです。




 

 

主力を失った信友は大膳の策により、信長の叔父、織田信光を調略し味方に引き入れようと画策わずかの望みを託します。しかし信長の一族である信光がここで靡くはずもなく、逆に信友排除の好機と考えた信光はあえて信友の調略を受けたふりをして自身の城内に引き入れると、自身と2人きりになった時を見計らって信光に殺害されてしまいました。

 

大膳も今川へ逃亡し清州織田家はここに滅亡したのです。

 




 

 

信友の行動は、坂井大膳ら家臣の人間にかなり主導権を握られていたところも多く、彼自身も傀儡だった面も否めません。しかし、それが家臣の暴走だったとしても、後先考えずに主君殺しという暴挙に及んでしまったのでしょうか。直近では斎藤道三が同じく守護を暗殺して大義名分を失い、美濃統治に苦しんだことを尾張の人間は知っていたはずです。それだけに信友や大膳らをあまり評価できるところはないと言わざるを得ません。

 

 

 

30年近く立って、織田家はまた主殺しの凶行に襲われることになります。歴史は繰り返されるのか・・・