有能な部下は囲い込みたいのはいつの時代も同じ、戦国時代や江戸時代においても大名はあの手この手で他家への転職を防ぎました。さいわい主君への忠義や一所懸命といった昔ながらの封建制度が残っていたおかげで、地方の大名にとっては他家への裏切りが起きることはまず無かったのですが、織豊大名の家臣たちは実力で主君に登用され出世してきた人物が多く、隙あらば戦場で活躍し転職の機会を待ちました。

 


他家への転職禁止は、例えば奉公構とかが有名ですが、日ごろの行いが悪く、相当やらかした部下にしかなかなかできないものです。ではどうしたのか?黒田家臣、毛屋武久の例を見てみましょう。



keya



毛屋主水正武久は1554年、近江国で生まれ六角氏→織田信長→柴田勝家→前田利家→池田恒興→佐々成政→黒田長政と諸大名を渡り歩いてきた藤堂高虎も真っ青の転職マニアです。

 

毛屋主水といえば、関ヶ原の戦いにて、物見として敵情報を探り「敵は寡兵!西軍には10万の軍勢がいるがほとんどが日和見で戦いに参加することを厭うばかり、よって当面の敵は島津・石田・小西の3万、これには雑魚も交じっており、実質2万!」と報告し、味方の士気を上げた功績として家康から饅頭を与えられたという逸話が有名です(他に与えるもの無かったのかよ)

 

物見だけでなく、武将としても有能であり、柴田家臣時代は4000石という高給とりにまで出世していました。が、転職に転職を重ね、黒田家ではたった300石しか貰っていませんでした。転職しすぎてキャリアアップに失敗、結果安月給って今の時代にも通じる話ですね。

 

これに手を差し伸べたのが、会津40万石の大名に出世していた蒲生氏郷でした。出身が近江同士というのもありますが、三木城の戦いの時に氏郷は主水に助けられた経験があり、恩を返したいと主水に1万石で召し抱えたいと打診します。

 




4877f430de3eb94faefdc5075683ae38






主水はこの誘いをありがたいとしながらも「今は朝鮮出兵の直前なので、生きて帰ってきてからお仕えします」とこれを保留しました。

 

さて、朝鮮出兵でも武功を挙げ帰国した主水ですが、長政は彼に論功行賞で300石の加増をするのですが、主水は既に氏郷との約束を持ち出し、加増を辞退し暇乞いを申し出ます。

 

 

加増を辞退した部下が辞職届を出してきたでござる

 

 

当然、受け入れられるかと長政は激怒して、同僚で主水の親友2人を集め「主水が他国へ行くようなことがあれば切腹する」と起請文を書かせます。親友もこれに応じたため、主水は氏郷への仕官をあきらめるほかありませんでした。

 

戦国時代らしい強引なパワハラですが、残った主水との仲が悪くなることを懸念したのでしょうか、長政は妥協策も提示します。

 



ce7f1590327e248d1a70efb3f9e94801




 

 

お前、そういえば40過ぎて嫁も貰ってなかったな。ちょうど知り合いに嫁の貰い手を探している者がおる

 

 

黒田家の豊前入領時、地元領主だった城井家が一揆をおこし、長政は父・官兵衛と共にこれを鎮圧します。城井谷の粛清は凄惨を極め、城井一族はおろか、その家臣も悉く誅殺あるいは攻め滅ぼされる末路を迎えました。が、家臣の妻子たちはなんとか落ち延びたので、長政は流石に女子供を手にかけるのは(鎮房の12歳の娘は処刑したが)・・・と思いそのままにしていました。

 

その中で鬼木掃部の娘・秋をひとり身だった主水と結婚させ所帯を持たせたのです。

主水は他国を転々としていたのが仇で、結婚とは程遠い人生を送っていました。主水にとっても独身貴族を謳歌していたのかもしれません。

 

結局、所帯を持ったことでますます黒田家の下を離れられなくなり、主水は162875歳で亡くなるまで黒田家で過ごすことになります。

 

 

 

結婚は人生の墓場やでぇ・・・









40歳の童貞男 (字幕版)
スティーヴ・カレル
2013-11-26