巨人の星。

 

 

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今でも有名なスポコン漫画の金字塔です。

主人公の父・星一徹は非常に厳格な人物で、頑固一徹という言葉を体現する人物でした。




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この頑固一徹という言葉、とある戦国武将から作られた言葉です。今回はその元となった武将、稲葉一鉄について紹介します。


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土岐・斎藤時代

 

 

稲葉氏は元々、伊予国出身でしたが戦国時代のはじめごろに美濃に移り住みました。

1515年に稲葉通則の子として生まれました。六男坊だったので寺に入れられ仏教の道を学んでいましたが、隣国の国衆浅井氏との戦いで父と兄が戦死したため、還俗して家督を継ぎ、良通と名乗ります。

 

美濃では守護大名の土岐頼芸と下剋上で成り上がった斎藤道三の争いが起こっていました。

姉・深芳野は美濃一の美女で頼芸の側室でしたが、後に道三と再婚します。

 

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何だこのステータスの差は!?


 

争いが起きた際には、深芳野は道三の側室だったので一鉄は道三に味方して戦い、土岐頼芸を倒します。美濃を治める者は天下を治めるという言い伝えがあり、美濃を治めた斎藤氏は一気に躍進。国盗りに後見した一鉄の立場も向上し、1546年には公家の娘と結婚し、長男・貞通が生まれました。しかし、道三と子の義龍が争い始めると、一鉄は義龍に味方して戦い、道三を滅ぼします。義龍は深芳野の子でしたが、道三と再婚する際には既に身ごもっていたとされ義龍は実は頼芸の子だと考えられています。

 

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少なくとも若き信長よりは強かった。 

 

 

道三の悪政に旧土岐家臣は愛想をつかしたのか、常に深芳野に味方していただけなのか、しかし義龍は35歳で急死してしまい、長男で14歳の龍興が跡を継ぎます。

 

この頃、信長が美濃侵攻を開始。信長の正室・帰蝶は道三の娘だったので、義父を倒した仇討ちの意味合いもありました。義龍が生きていたころは一鉄率いる美濃三人衆の活躍や、名軍師・竹中半兵衛の策略で織田方を圧倒し続けましたが、義興はまだ14歳と遊びたいお年頃。若輩だったこともあり、家臣は次々と織田方へ寝返ってしまいます。

 

1564年には酒に溺れてばかりいる主君を諫めるため、竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取る事件が発生。しかし龍興は反省しなかったため、半兵衛も謀反の責任をとって隠居どころか、織田方にヘッドハンティングされる事態まで陥ります。


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病弱マン。



 

最後まで龍興を信じ続けた一鉄ですが、ついに諦め1567年織田信長に臣従。味方のいなくなった稲葉山城はほとんど抵抗することなく落ち、龍興は追放されます。

 

 

 

 

信長時代


 

 

信長に仕え始めたころには既に一鉄は54歳と隠居間近の老人でした。しかし、信長の信頼を勝ち取るため、すぐに子・貞通と共に織田方の前線で戦います。


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俺たち美濃三人衆~♪(デュワー)



 




1568年、観音寺城の戦いで和田山城を包囲。

1569年、大河内城の戦いで北畠具教の居城を包囲。

1569年、金ヶ崎の戦いで金森城を防衛。

1570年、姉川の戦いに参戦。

1570年、野田・福島城の戦いで殿軍を指揮。

1571年、長島攻めに出陣。同僚だった美濃三人衆の氏家卜全が討死。

1573年、槙島城の戦いで先鋒。

1573年、長島一向一揆。捨てがまり戦術を使用し窮地を脱する。

1573年、一乗谷の戦いで敗走する朝倉義景の部隊を追撃。

1574年、第二次長島攻めに出陣。

1575年、長篠の戦いで拠点防衛

1575年、岩村城攻めでおつやの方を撃破。

1577年、神吉城攻めで神吉頼定を撃破。

1577年、紀州征伐に参加。

1578年、有岡城の戦いで織田信孝の副将として出陣。

 



 

活躍した戦いもあれば敵に翻弄されやられ役になった場面もありましたが、基本的に信長が出陣した有名な戦いにはだいたい参加し武功をあげました。

土岐・斎藤時代から戦国時代を知るベテランとして重宝されたのでしょう。何より凄いのはまだ家督を譲っていなかったこと。1579年に貞通に家督を譲った際には65歳になっていました。

 



 

秀吉時代



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稲葉家の立ち回り力はすごく、関ヶ原では西軍にも関わらずほぼお咎めなしという処置でした。公家とも繋がりがあり、徳川家康といえどもやすやすとは手出しできなかったのでしょう。



1582年、本能寺の変の際には明智光秀光秀は自身のホームグラウンドである美濃を拠点に軍事力の強化を図ろうと画策します。これに対し、一鉄は斎藤道三の遺児・利堯を擁立して光秀と対立します。

 

しかし、かつて美濃三人衆の同僚で信長に追放され領地復帰を目指していた安藤守就が光秀と結託して挙兵。一鉄がやむを得ず守就と交戦しこれを打ち破りました。

 

光秀も山崎の戦いで早々に討死したため、美濃は一時的に動揺。一鉄は、かつての弟子で婿だった斎藤利三の娘・福を引き取り後見します。利三は光秀の家臣時代よりも一鉄家臣時代の方が遥かに長かったのですが、最後は喧嘩別れする形で稲葉家を出ていったため、一鉄にも思うところがあったのかもしれません。孫娘・福は次男・重通の養女となり稲葉正成と結婚、後に家光の乳母となる春日局です。

 

信長の死後、清須会議では岐阜城と美濃は織田信孝が支配しました。しかし、一鉄はかつて共闘した信孝よりも秀吉を支持し、信孝と戦う姿勢を見せます。晩年は趣味だった茶道の研究をしながら1588年、秀吉が天下統一を目前にした74歳で亡くなります。

 

 

 

実は土岐時代から秀吉時代に至るまで、稲葉家は誰の家の家臣でもない独立勢力として保ち続けた誇りを持っていました。非常に気高い独立意識を持ち、次の天下人はこの稲葉が決めるというプライドがあったのでしょう。

孫娘・春日局が三代将軍・家光を養育し推挙したのも一鉄の頑固で気高い気風が関係しているのかも?


















稲葉一鉄
高橋 照夫
叢文社
1999-09


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川崎 のぼる