10月は戦国時代の城郭関連でいいニュースと悪いニュースがありました。

 

良いニュースは、駿府城発掘調査が行われ、現在の駿府城よりも下に豊臣政権下で中村一氏によって築城された旧・駿府城の遺構が発見されました。江戸時代、旧豊臣家の大坂城を覆いかぶせるように徳川の大坂城を築城したように、駿府城で同様のことがあったということですね。

 

悪いニュースは、和歌山県日高にある古城で湯川氏が築城したとされる、天路山城が、担当者の無断工事によって大部分が破壊され、修復不可能になったというニュース。南海地震の津波対策の一環として避難経路を城跡をよける形で造成したところ、間違って、本丸・二の丸・一の曲輪・住居部分をそのまま道路にしてしまったということです。結果、戦国後半期における湯川氏の研究がほぼほぼ不可能になったとか。

 

今回のニュースに限らず、明治から平成初期にかけては廃仏毀釈に始まり、歴史的価値のある建造物や文化が低く見られ、多数の遺跡物が歴史の闇に消えていったとされます。市民の命優先であることはもっともですが、誰も知らないような有象無象の人物に関して再評価を行えなくなったのは悲しい事件ではありますね。

 

 

余談ですが、天路山城主の湯川直春は、豊臣秀吉の紀州征伐に際して、中村一氏の軍勢に攻められ降伏。しかしその翌年、謎の死を遂げたといいます(羽柴秀長による暗殺説が有力)。奇しくも戦場で敵対したもの同士の遺跡が同時にこのような形で発掘されたことは、何か運命じみたものを感じずにはいられません。





o0594031613306031836

o0593031513346373447