ニワカ歴史オタが語る雑記

    不定期更新 気になった武将や人物について取り上げたりおんj中心にまとめたりします

    戦国時代の梟雄といえば宇喜多直家をイメージしますね。

    直家は始め浦上家に仕えますが、謀略によってライバルを次々と暗殺し、最終的には主家・浦上家を下剋上で倒した稀代の傑物です。

     

     

     



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    宇喜多直家の解説はこちらより


     

     

     

    しかし、直家が倒した上司・浦上宗景もまた下剋上によって備洲を掌握した豪担な人物でありました。今回は、宗景について解説します。













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    高橋紹運の玉砕。

     

     

    岩屋城の戦いは大きな衝撃を与えました。戦乱の世である以上、しばしば撫で斬りや全滅は起こり得ます。しかし精兵500人以上が全員死ぬまで戦い抜くなど非常に珍しい出来事だったからです。

     

    本人達にとっては自らのプライドを世に知らしめす上では譲れないものがあったのでしょう。玉砕という形で終わったことも覚悟の上であり、満足して死んでいったのでしょう。

     

    しかし、残された者たちにとっては悲痛に堪えず余りある物がありました。今回はそんなお話。

    【生き残ってしまった男・谷川大膳 ~高橋紹運の逸話~】の続きを読む

    2018年冬、どこの誰だか知らないが、お酒で失敗大騒動。

    偉いさん方皆怒り、なぜかタモリはアウトレイジ。

     

     

     

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    M-1から2週間強がたちましたが、未だその直後に起きた騒動は収まらず。スポンサー降板などが囁かれ、裏ではM-1終了の危機すら囁かれています。

     



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    個人的には



     

    優勝した霜降り明星を



     

    もう少し

     

     

    とりあげてやったら↑ど↑う↑や↓

     

     

    と思うのですが、ゴシップに流れるのが日本人のサガ。

     

     

     












     

    だからこのブログもそれに便乗して、炎上商法でPV数を稼いでしまおうというのが、俺の本来の目的なのだよ。腐☆腐。

     




     


    梅沢1

    マグヌス1

    便乗に乗ろうとして作ったはいいけど、旬を逃してお蔵入りになった画像を供養







     

     







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    でも、このブログ当たり前といえば当たり前だけど戦国武将関連以外の記事は誰にも読まれない。だから酒で失敗した繋がりで、酒で大失敗した戦国武将について紹介します。

    【本多忠朝 ~一杯の酒、一つの命~】の続きを読む

    上総守は所詮、戦国時代の敗北者じゃけぇ・・・


    先の時代の将軍・義輝は三好や松永の化け物どもと戦い続け、自らの死と引き換えに畿内を戦乱という新たな時代の扉を開いた。弟の儂もいうのもなんじゃが、まさしく戦国王の名に恥じぬ男じゃったわ。



    それに比べて、上総守はどうじゃ。その義輝や長慶とまともに戦う気があったのかどうか。大方琵琶湖の田舎のほとりで大所帯を持ち、おやまの大将で満足していたんじゃありゃせんのか?



    世間では、第六天魔王の名で、今もいろんな国の平和を守っちょるとかいう馬鹿どももいるようだが、わしにいわせりゃ、たかが雑魚の国衆ども分際ににらみをきかせちょる時点で、英雄気取りとは笑わせる。


    義輝が死んでもその後塵を拝し続け、死んでも名実ともに王になれずじまい。つまりには永遠に幕府には勝てず永遠の敗北者。それが信長じゃどこに間違いがある。



    思えば悲しい男じゃのう。上様上様と尾張のごろつきどもに慕われ、家族紛いの茶番劇で京にのさばり、十何年も本願寺や幕府と戦い続けるも、王にはなれず、何も得ず。しまいにゃ口車に乗った日向という名の馬鹿に刺され、息子一人守れずに死ぬ。実に空虚じゃありゃせんか?











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    戦国時代において、出世の基本は戦場での武功でした。

    論功行賞は武士にとって非常に重要な出来事で、名のある武士を討ち取ればそれだけで一発家老入りも夢ではなかった時代。首実検はその論功行賞を決める重要な場でした。

     

    例にしてあげますと、長篠の戦いで武田家の重臣・内藤昌豊を討ち取った今川氏真の家臣・朝比奈泰勝は、家康の目に留まり今川家から引き抜かれる形で家康の直轄軍入り。その後、旗本として北条家の外交役(榊原康政を補佐する立場)を任され、最終的に紀州藩の大番頭(今でいう警察署長ぐらいのポジション)に出世したとか。

     

    そんなこんなで一種のボーナス交渉のような首実検の場でしたが、命のやり取りの場だけあって非常に神聖なものとして扱われました。

    【首実検 ~ただいま銭闘中~】の続きを読む

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